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いぶきネット句会たより

    



 
いぶきネット句会の会員がいぶきネット句会について書いたものです。ぜひお読みになって、興味を持たれた方はいぶきネット句会の仲間になりましょう。初心者大歓迎です。

 なおこのページは2023年~2025年を掲載しています。過去の「いぶきネットたより」は次の該当年をクリックして下さい。


 いぶきネット句会たより(最新)

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 いぶきネット句会たより(2009年~2013年)




 
  ある男       野崎雅子(名古屋市)     2023年5月

 平野啓一郎「ある男」を以前図書館で借りて読んだ。幸せに暮らしていた家族の、夫が突然の事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれている一家に、夫が全く別人という衝撃的な事実がもたらされるという話である。

 「愛とは」「人間とは」と色々と考えさせられる作品だった。
 

  そして、70回読売文学賞を受ける。

 2022年秋映画化された。早速観に行った。自分のイメージしたものと大筋で同じであったが、4年たっているので、忘れていた所もあり、もう一度原作を読んでみたくなり、文庫化されているので、買おうと本屋に寄る。

 友人が、
「私の唯一の贅沢は新本を買って読む事なの。新しい本を開く瞬間が好きなの。」
と、言っていたのを思い出し連絡してみると、買ってあるというので、彼女から借りて読んだ。

 映画で観ているので、ストーリーの中で人物が出演者として動き出し、早く読む事ができた。

 かつて「読んでから観るか、観てから読むか」というコマーシャルがあったことを思い出した。

 私は時間は掛かるが、本を読みながら登場人物のイメージを膨らます方が楽しみがあるから、読んでから観る方がいいかなと思っている。




   残雪の藤原岳    鈴木未草(知多市)      2023年4月


10数年前からボーイスカウトのお手伝いで、登山やクロスカントリーに付いて行っている。夏の北穂高岳以来、ここ数年は体力に自信がなく、主人だけに任せて遠ざかっていた。今回の冬の藤原岳はサポートする人が少ない上、年少者が多いとのことで参加することになった。
 現地に行くと懐かしい顔ぶれの大人たち。子供たちは、小学6年生が多く、ベンチャーの高校生が数人混じり、全部で10数人。2つの隊に分かれている。
 山に慣れていない子が多いので、食料や装備の分配やら、荷物のパッキングやら、雪除けのスパッツの付け方やらが分からず、ザックのファスナーが壊れただの、手袋を忘れただの、大騒ぎして時間を食ってようやく出発。隊長は当然のように私にトップをやれと命じる。
 まず麓の小さな神社にて全員で安全祈願。そこが登山口でもある。森の中をしっかりした道ができており、そのうち傾斜がきつくなり、ジグザグのやや細い道、岩や木の根で躓きそうになる道になる。歩調はゆっくり進め、時々振り返る。遅れがちな子が2人いる。いずれも小学生だ。そのうち1人は私のすぐ後ろを歩かせたが、100m
ほど登った処でゼーハーと苦しそうな息をしている。顔色もよくない。
 先は長くもっと危険な所もあるので、ベンチャーの子にその子の荷物を持ってくれるよう頼んだ。快く引き受けてくれたが、途中辛そうだったので、同じ隊の他の子も交代で持ってくれた。
 他の登山者に行き会ったら「こんにちは」と挨拶するんだよ。道を譲る時は山側の安全な場所に寄ってね。石を落としてしまったらすぐ下の人に知らせて。ここは景色がいいね。ほら、平野がみえるよ。向こうの山にヤッホーって呼んでみようか。こだまするかもしれないよ。
 などと話しながら、何とか全員8合目にたどり着く。ここからは雪道になる。雪の下が凍っているところもある。
 全員アイゼンを付けさせる。私は道を捜した。夏道はロープで入れないようにしてある。積雪時の道を行くしかない。子供たちを2、3人ずつに分け夫々に大人がサポートする形に変わった。私には小6
が2人だった。どちらかにトップをやらせ、私は後ろから見守ることにした。
 冬道はあるようでないのも同然だ。ただ雪と氷に覆われた急な取っ付きとひょろひょろとした裸木があるばかり。道がない所をどうやって進むか?それは木や岩に付いている目印を捜すのだ。ここは雪に覆われた林なので、枝に赤いテープがぶら下がっている。それを見つけるのが面白くトップの子はアイゼンを利かしてどんどん進む。とても初めての雪山とは思えない。後ろの私は息を切らすはめになった。2番目の子が気が付いてストップをかけてくれたので助かった。
 私たちは出発が早かったのと元気のいい子たちだったので、隊のみんなから離れてしまった。しばらく待って次のグループが見えた。子供らは安心したのか「ヤッホー」と声をかける。しばらく先に進みまた見えるまで待ちを繰り返し、集合の約束の9合目。しばらく下界の景色を楽しむ。遠く伊勢湾も見えるのだ。伝言で先に行って良いとのこと。小屋まで行くことにした。尾根に出ると風が強く所々雪が溶けて岩だらけになっていたり、泥んこになっていたりして歩きにくかった。
 小屋に全員到着し昼食。バーナーでお湯を沸かしラーメンを作る。予定の時刻を大きく遅れ、雲行きも怪しくなったので頂上までは行かず帰ることになった。
 どの山も登りと違って下りは楽しい。はめを外して雪玉が飛び交ったり、そり遊びしながら9合目。夏道への分岐がある。通れないようにロープが張ってあったが、くっきりした新しい足跡がある。あの八合目からの急斜面を下るのは危険だ。ロープをまたぎ、足跡を頼りになだらかなジグザグを辿って行く。途中小さな谷で足跡が消えた。少し離れた所に板を渡しただけの橋らしきものを渡ると、また足跡があった。しばらく行くとようやく雪のない八合目。ここで泥混じりのアイゼンを外し、服装を整え行動食水分を取り、主人がサポートしている子を待つ。
 私は疲れ切っていた。さっき橋を渡った時右足の内股がつりそうになったのだ。遅れているグループが姿を見せたので、トップを交代して先に行ってもらう。最後のバテバテグループと一緒にふもとまで下りた。膝が笑い何度も転びそうになる子を励まし励まし、最後の曲がり角で神社が見えた時はほんとに嬉しかった。よくぞ全員無事で帰れたことよ。

   残雪の山を見返す車中かな       未草




 
  荒川さんはどんな天の川を見たか 国枝隆生(員弁) 2023年3月

この度、荒川英之さんは『沢木欣一・十七文字の燃焼』にて二〇二三年第三十七回俳人協会評論賞を受賞されました。「伊吹嶺」にとって誠にめでたいことで、栗田やすし先生の受賞以来の快挙です。もともと荒川さんはいぶきネット句会の入会をきっかけに「伊吹嶺」に入会されています。
 この受賞作は三一七ページに亘る大作で、とても一気に読めません。そこで環境問題に取り組んでいる私としては、以前伊吹嶺HPに書いたことがあり、興味のある「光害」に関連して、天の川の二句をからめて荒川さんはどんな天の川を見たかだけを述べてみたいと思います。

   荒海や佐渡に横たふ天河    松尾芭蕉
   天の川柱のごとく見て眠る   沢木欣一


 芭蕉の句は『奥の細道』の最高傑作と言ってもよい句で、芭蕉の心の昂ぶりが見える句である。というのもこの句が作られた出雲崎からは佐渡島に寄り添うように天の川が横たわって見えることはない。しかも芭蕉が過ごした夜は「曾良日記」にあるように雨が降っていた。そもそも夏の日本海は荒海にはほど遠い静かな海なのである。
 それでも芭蕉がこのように詠まざるを得なかったのは『奥の細道』を世に問うときの意気込みではないか。実はこの時、芭蕉は三百字程度の「銀河ノ序」を書いている。ここで芭蕉は天の川は「海の面十八里、滄波を隔て東西三十五里によこをりふしたり」と天の川は横たわっていると書いた。ただこの序は最終的には『奥の細道』に掲載されないで、許六編の「風俗文選」に載せられた。後の世代にこの句はいろいろな人から批評されてきたが。
 加藤楸邨は『奥の細道吟行』で『この句の発想のてがかりをつかんだと思われる出雲崎だけが「荒海」ではなく、心の風景もまた「荒海」だったものであり、佐渡の史上の悲歌、七夕の近い佐渡に対して天の川の「荒海」の感じを土台として呼び起こされ・・・日本海は芭蕉の「荒海」となった。』と芭蕉にとって「荒海」の必然性を分析している。
 また小澤實は『芭蕉の風景下』において主に「銀河ノ序」が『奥の細道』から消されたことに着目して
芭蕉はこの文章を入れることはなかった。散文での説明はすべて省いて・・・この一句だけにすべてを語らせようとする芭蕉の自信と信頼を感じるのだ。また銀河はこのように見えないことの批判があったことも踏まえて悪しき写生観がこの批判の底にある。現実は表現のきっかけの一つではあるが、表現は現実とは別、独立したものである。と芭蕉の意気込みを評価している。
 前がきが長くなってしまったが、そこで私は掲句の沢木先生の「天の川」の句を考え、荒川さんも考察されている。沢木先生は『昭和俳句の青春』で「天の川は陸から佐渡の方に向かって掛かっていた。佐渡の上に横たわっているのではないことを知ってちょっとがっかりしたが、陸から佐渡の方向へ横たわったと解釈しておかしいことはない。・・・陸も海も佐渡も含めて天地に柱のごとく突っ立っているように感じた。」と素直な印象を述べて、掲句を詠まれた。
 そして荒川さんはまず『沢木欣一の百句』で、次のように解説している。(なお一部分かりづらいところがあったので、荒川さんに確認した真意の言葉を括弧で入れてある。)
 『天の川を立体的に捉えることで、芭蕉の「荒海や」の句を念頭に、佐渡の空に横たわる(と芭蕉が詠んだ)天の川のイメージを覆す(つまり横たわっているのではなく直立している)光の柱は幻想的であるが、(その華やぐ幻想に対して)座五「見て眠る」が旅寝のわびしさを感じさせる。』と「柱のごとく」を詠んだ経緯を解釈している。
 そして受賞作の『沢木欣一』では、『後に欣一は「闇に直立している光の柱は大げさに言うと、そういう感じであった。天の川は芭蕉の句から想像されるように佐渡の上空に、横たわっていない。陸から空を距てては佐渡へなだれ延びていた。」と記す。』のように解説している。ここに控え目な荒川さんの態度が見える。
 以上芭蕉の『奥の細道』、「銀河ノ序」から荒川さんの『沢木欣一』までの天の川の解釈の変遷を一部見てきたが、この本を執筆するにあたり、荒川さんは全編に亘って出典を明らかにしてから解説、解釈しており、受賞も諾なるかやである。そこに荒川さんの心情が控え目に覗いている。改めて荒川さんは『沢木欣一』を執筆するにあたり、天の川をどのように見て、この受賞作を執筆したのだろうかと思い至る。
 いぶきネット句会の皆さんも是非受賞作『沢木欣一』を購読して頂きたいと思います。


   コロナ禍を越えて    新井酔雪(岡崎)     2023年2月

 俳誌「伊吹嶺」が創刊されてから25年となる記念すべき年となりました。昨年は、節目となる伊吹嶺25周年記念俳句大会を10月29日(土)、名古屋栄駅近くのホテル名古屋ガーデンパレスで開催することができました。3年ぶりの一堂に会しての大会で、会員と同人を合わせて131名の参加がありました。久しぶりの顔合わせで、皆さんの笑顔が印象的でした。

 新年俳句大会も各支部とも実施することができました。ここ愛知でも、1月21日(土)、名古屋グランドホテルで、110名の参加がありました。こちらも3年ぶりでした。ここ2、3年、コロナ禍のために様々な行事が延期または中止となっています。まだまだ予断はできませんが、それでも世の中の流れは、イベント中止ではなく、実施の方向になっている気がします。

 といったところで、延び延びになっていたインターネット部主催のオフ句会(吟行)を、今年こそ何とか実施したいと考えています。吟行を実施するにあたって、重要なことは30人ほどを収容できる施設を確保することです。皆様、もし良い吟行地があれば紹介してください。

 もうひとつは、伊吹嶺の周年記念に合わせて発行している「合同句集IBKINET」です。第3巻を今年中に発刊したいと考えています。今回は、かつてインターネット部員として活躍していたOB部員の方にもご参加していただこうと考えています。

 今年から本格的に夏雲システムを使ってのいぶきネット句会が行われます。これによって、担当部員の仕事が軽減されます。

 同様に伊吹嶺ホームページの更新の作業の負担を軽減したいと思います。そのためには、次の2点が重要になります。1つ目は、ホームページ作成のソフトであるホームページビルダーを誰もが使えるようにすること。2つ目は、ネット部員の1人1人の技能を高めること。この2つを克服するための研修会を開くことができたらと考えています。最後に皆様のご健吟を祈るとともに、いぶきネット句会員が1人でも増えることを期待します。




   調神社(つきのみや)  関根切子(東京)     2022年1月

 調神社は埼玉県の浦和(中山道の宿場町でもありました)にある小さな神社です。神社でありながらなぜか鳥居が無く、狛犬は兎です。正式には調(つき)神社と言うそうですが、地元の人はみな調(つきのみや)さんと呼んでいます。「月の宮」なので兎なのでしょう。

 調神社では毎年12月12日、酉の市と年の市が一緒になったような、十二日町(じゅうにんちまち)と呼ぶ市が開かれます。出し物小屋や露店がたくさん並ぶ市で、境内の外にまで店が溢れます。

 私が子供のころ十二日町は一大イベントで、学校が終わるとみんなで示し合わせて(子供だけで行ってはいけないことになっていました)出かけるのですが、生徒の行動はお見通しのようで、怪しい見世物小屋とか、いんちき臭い露店には先生が先回りして目を光らせていました。見つからないように作戦を立てて潜り込むのはスリルがあって、わくわくした楽しい思い出です。

 十二日町が終わり、大晦日になると氏子の家では晦日払い(みそかっぱらい)と言う儀式が粛々と執り行われます。父が調神社でもらってきた祓串(割り箸くらいの棒に弊が付いたもの)で家族の頭を祓い、その祓串を家の外に挿しておくというもの。粛々と言っても「紅白歌合戦が始まる前に早く終わらせよう」という雰囲気が漂っていたり、猫も祓ったら弊にじゃれついて、弊が取れてしまったという罰当たりな儀式でした。

 「みそかっぱらい」は正しくは1年間の厄を祓い、その邪気の付いた祓串を門外の鬼門にあたる場所に挿し立てるものだそうです。最初に神棚、次に部屋や台所、厠、最後に家族全員を祓うそうですが、私たち姉妹はいつも「勉強ができますように」と言って頭を祓われていました。厄を祓うのですから頭を祓ったところで効果が無かっただろうことは今となっては明らかです。当時元旦にはあちこちの家の角に祓串が挿してありました。

 東京で暮らすようになってから「みそかっぱらい」の弊が挿してある光景は(そもそも土がないので)見たことがありませんし、実家の周りでもその風習は絶えてしまったようです。寂しいことです。

 来年は兎年。久しぶりに調神社へ初詣に出かけようかと思っています。

    知らぬ子も混じる手締めや熊手市  切子
    束ねたる松の青さよ年の市     切子



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