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環境と俳句
  この度、「伊吹嶺」において「俳句と環境」と題して、環境問題を俳句の側面から会員皆さんの思いを書いて頂くコーナーを設けました。
 地球環境については気候変動の悪化、生態系の破壊などいろいろな問題を抱えています。一方私達俳人は豊かな気候、生物多様性のおかげで日本の豊かな四季に恵まれ、俳句の材料にもこと欠きません。
 また俳人協会にても「環境委員会」を立ち上げて、俳人の立場で環境問題に取り組んでいます。
 このような状況から「伊吹嶺」でも環境問題を取り上げていきたいと思います。
一方、HP以外でも環境問題を考えて句作の実践を行う「自然と親しむ吟行会」も実施しております。
 是非皆さんもこのコーナーに訪れて頂きたいと思います。
                         インターネット部長 国枝 隆生
 
 
 
 平成28年8月
世界文化遺産登録と三保松原の保全

磯田なつえ

 

 富士山の世界文化遺産登録からこの六月で三年になる。

四五キロ離れた三保松原も構成遺産となった。観光バスの増加で御穂神社からの「神の道」の松の根の生育が妨げられる兆候があり、早速駐車場が移設された。嘗て五万本と言われた松原は松枯れで現在は三万本余りとか。無人ヘリによる薬剤散布や松の根幹への予防剤注入、枯れた松の伐採など行政の対症療法に加え、ボランティアによる松落葉の清掃が盛んだ。落葉は堆肥となって土が肥えることで根の張りが弱くなるという。集めた松落葉の燃料への再利用も進められている。

  行く夏や富士に真向かふ浜掃除   森 敏子

 秋には「羽衣の松」を鏡板代わりに「羽衣」の薪能が催される。現在の羽衣の松は三代目で樹齢六五〇年の先代と六年前に交代した。その折、

  熊蟬や枝奔放な三保の松    なつえと詠んだが、

  艶失する羽衣の松土用照    なつえと昨年詠んだ。

 やはり根元の土が踏み固められた影響ということで、対策が急がれる。世界文化遺産登録は画期的だったが、愛でるのも、守るのも人の知恵によるところが大きい


 平成28年7月
  岡崎のゲンジボタル保護活動
 新井酔雪
 

かつての赴任校岡崎市立河合中学校は、ゲンジボタルの保護活動で全国に名を知られている。昭和41年よりホタルの幼虫を飼育し、毎年4月に幼虫を乙川に放流している。美合小学校は昭和53年、鳥川小学校(旧額田郡)は60年よりホタルの幼虫の飼育を始めている。その鳥川小学校は平成22年3月に閉校となった。しかし、ホタル保護活動の拠点施設として整備され 、24年4月に岡崎市ホタル学校として開校した。

岡崎のゲンジボタルの保護活動の歴史は古く、昭和23年に美合町に発足した生田(しょうだ)蛍保存会が始まりである。これは昭和10年に国の天然記念物に指定された、竜泉寺川、山綱川および乙川(いずれも矢作川の支流)一帯の岡崎ゲンジボタルが、激減したことがきっかけである。

昭和47年に、岡崎市と額田町(旧額田郡)との境界までの河川敷のゲンジボタルが天然記念物に追加指定を受け、美合保存会、河合保存会、岡崎蛍研究会など地元の小中学校の協力のもとに、熱心な保護活動を展開してきた。そして、58年より額田町も町指定で保護にのりだし、乙川水系全域の保護体制ができあがった。そのおかげで毎年ゲンジボタルの飛翔が見られるのである。感謝。  

   螢火のとどまる竹の闇深し     酔雪



 平成28年6月
 冬から春へ
 利行 小波
 

 昨年十二月の初め、夫の突然の入院の為、病院と家そして職場の行き来のみで、年末年始もいつの間にか終わっていた。この間、病棟の車椅子の人々の笑顔や明るさに反対に力付けられたり、厳しい看護の実態の中にあっても、何時も優しい看護師の対応に頭の下がる思いであった。

 十一階の病棟の窓から望む冠雪の御岳、燃える様に沈んで行く夕陽。車椅子の夫と眺めるのが日課となった年の初めであった。

     寒夕焼けに押し出す夫の車椅子      小波

 一月末、回復期のリハビリ病院へ転院出来てほっとしたある日、運転中の窓に白梅が満開なのに初めて気づく。季節は確実に移ろいでいる事に驚き、嬉しさで胸が一杯になった。また、家で掃除の水を替えようと出た庭先で思いがけず聞く「ホーホケキョ」。バケツの中で、春の日が水に揺らぎ、荒れ放題の狭庭に芝が青々と芽吹き初めていた。

 巡り来る自然の営みに感謝し、その一コマ一コマを俳句に切り取っていければと思いながら日々過ごしている。

 春の陽気と共に夫は杖歩行となり回復に向かっている。

 外はもう爛漫の季節のようだ。




 平成28年5月
春日井の大木
 松原 和
 

 春日井市の自然保護・緑化推進の一助となり、樹木や自然に親しむきっかけになればと「春日井の大木・名木50選」なる小冊子をこの二月に仲間と発行した。

樹木が長い年月を風雪に耐え生育したのは、その木にとって適した環境が保たれ、保護されてきた証と言える。また、大木は先人を語る語り部であり、さらに未来への憧れを示唆し、子孫への宝とも言われてきた。

しかしこの地は、戦時中の軍事用材としての大木の伐採、伊勢湾台風による巨木の風倒、市街域拡大による区画整理事業等が、急激かつ大規模に樹木を減じさせてしまい、畏敬の念を感じさせる様な大木は残念ながら少なかった。

子供の頃、鎮守の杜は広く、大木が茂り、蝉を捕まえたり、どんぐりを拾ったり、皆で探検をした思い出が懐かしい。

囀りをこぼさじと抱く大樹かな  星野立子

秋空を二つに断てり椎大樹    高浜虚子

大木のすつくと高し冬の門    正岡子規

環境とは時に応じて姿を変え、これからも色々なものを断ち切りながら生活環境は進化していくだろうが、少しでも心に安らぎを覚えるような「環境」は残したいものである。


 平成28年4月
 気になる季語
 大島 知津
 

「柳絮」という季語を歳時記で知って以来ずっと気になっていた。

柳の花も見たことがないし、実が弾けて雪のようにわたが飛ぶとはどんな風景だろうかとあこがれていた。

始まりは鳥の和毛かと思った。風もないのに二階のベランダにふわふわと漂ってきた。手にとると植物のわたのようだった。この日からわたの飛散は増えつづけ吹雪のように町内に降り積もっていた。それは、近くの中学校の校庭に植えられたポプラのわただと解った。私はポプラがヤナギ科の植物であることを初めて知り、これがあの「柳絮」かと驚いた。ポプラは数日間にわたってわたを飛ばし続け道端のいたるところに吹き溜まっていった。

  夫と子の通ひし学舎柳絮飛ぶ   知津

「柳絮」は私が想像していたものとは違って驚くほど激しい植物の営みだった。自然は時に想像を超える一面を見せて私たちを驚かせる。気になる季語はまだたくさんある。新しい出会いを楽しみにしている。


 平成28年3月
 春  蘭
国枝 洋子
 

ガーデニングとは無縁の我が家の庭の片隅に冬枯れの草の間から芽生えてくる小さな植物の命を見つけるのは、春を待つ私の楽しみの一つである。

今年も春蘭の莟の膨らみを確認し、花芽を数えたりして屈み込むことが多い。

 春蘭の花のさみどり手で囲ふ   細見綾子

 春蘭の絹の袋を破り咲く      〃

 春蘭の咲き出て春をうたがはず   〃

綾子先生も春蘭がお好きで屈み込んでは対話でもしている様子がこれらの句から見えてきて共感できて嬉しい限りである。

我が家の春蘭は数十年も前に宅地造成中の道端でダンプカーに潰されそうになっていたのを採ってきたもので、度々の引っ越しにも耐え、咲き続けている。

自然がどんどん破壊され、便利さばかりが優先されている現在、自生していた野草も木々も注目されなくなり、絶滅の危機に追いやられる種も多いと聞く。どうしたら自然を守り、環境に優しい世の中になれるのか私には考えも及ばないが、どこを歩いても昔さながらの小さな野草に出会うことが出来たらどんなに素敵なことかと野草好きの私は夢見ている。



 平成28年2月
 大躍進―脊椎動物のたどった道
 野島 秀子
 

久し振りに名古屋市科学館へ特別展「生命大躍進」を見に出かけた。深く眠っていたリケジョ魂?が目覚めたか、心から感動し且つ、考えさせられた。

生命誕生(四十億年前)から人類への道(六千六百万年前)を、新鮮な化石を使って解き明かしていく手立てが具体的で分り易かった。特に、主な動物の祖先がすべて誕生したといわれるカンブリア時代の化石を基に想像した生物のレプリカが、個性的で今も脳裏に焼き付いている。

印象に残った生命躍進の映像に、海で誕生した生物が、進化した目、背骨、顎を駆使して暗い海から陸へ上がる場面があった。その眼差しには身震いするぐらい強い意志が感じられ、進化してきた生命を愛おしく思った。

    初明かり古代魚陸へ鰭立つる   リケジョ

また、生命はカンブリア紀から現在までの間に、何度も絶滅の危機にさらされてきた。絶滅の原因は、隕石の衝突や寒冷化や温暖化等の地球規模での環境変動であった。しかし、今、地球が抱えている温暖化の問題は主として人間が引き起こした環境変動である。この生命の絶滅につながる温暖化の危機を人間は真摯に切り抜けていく責務がある。



平成28年1月
  熊澤 和代
 

我が家の上はかって鳥の通い路であった。朝な夕なに群れをなして飛ぶ鷺や鷗を、コーヒ等を飲みながらぼけっと見ているのが私のお気に入りの時間であった。

ところが、いつの間にか鳥たちは違う路を通い始めたらしく、この頃ではめったに見る事も無くなってしまった。

高台に建つマンションの五階にある我が家からは、猿投山、知多方面、名古屋港、鈴鹿山脈まで一望に出来る。移り住んだ二十年程前には見下ろす位置に森や畑も多く、玉虫が洗濯物に飛んで来たり、目の前の電線に四十雀や山雀、尉鶲等もよく訪れた。十分に飛べない鶯の子を保護した事もある。そういえば鶯の初音は聞か無く
なって久しい。

 近くに地下鉄が開通し、大型ショッピングセンターも増えて、目覚ましい勢いで開発が進んでいる。竹藪混じりの林にあった青鷺のコロニーは、わずかな巣を残すのみで彼らの行方が気になっていたが、ほど近い神社の森に二羽だけではあるが見かけて少し安心した。共存共栄はなかなか難しいが、青鷺たちの安住の地が見つかります様にと心より祈った。

  古九谷の深むらさきも雁の頃      綾子

 

 平成27年12月
 雷 鳥
  国枝 隆生
 

雷鳥は現在、環境省レッドリストでは絶滅危惧種ⅠB(絶滅の危険性が高いもの)に分類されている。雷鳥の生息域はは二五〇〇米以上のハイマツ林帯となっているが、近年の温暖化の影響でますますその生息域が狭くなってきている。

そして今年の九月に信州大学から驚くべき報告がなされた。それは北アルプス南部の二八〇〇米付近でニホンザルが雷鳥のヒナを補食しているのを研究者が直接確認したという。温暖化の影響によってニホンザルもこんな高地まで上がってきたのである。一方雷鳥の人工飼育に取り組んでいる報道もあり、今年富山市ファミリーパークと上野動物園で抱卵時期の卵から孵化させて飼育してきたが、上野動物園では雛が全滅し、富山市では三羽が無事育っているという。

日本では古来、雷鳥は神の使いとして神聖視してきたが、それが人を恐れることもなく、私達俳人も雷鳥を間近に見て、句材として詠むことが出来、自然の恩恵に感謝してきた。

雷鳥の種の保存は今後極めて厳しい状況に置かれているが、今後とも山に登るたびに雷鳥を見ることが出来ることを願っている。

   雷鳥の霧より出でて霧に消ゆ   隆生


 平成27年11月
 北 山 湿 地
  新井 酔雪
 

岡崎市には、湿原はありませんが、市やボランティア団体が保護している湿地はあります。それは北山湿地です。市の中南部に位置する池金町地内に、標高180メートルぐらいの低い尾根の谷間にあります。山襞の間から幾筋もの小流が緩やかに流れていて、この小流が各所で行き場を失い、10数個の湿地となります。市内では古くから知られ、水苔類を主体とする湿地群です 。北山湿地では、食虫植物の毛氈苔、東海小毛氈苔および耳掻き草類をはじめ、朱鷺草や小葉の蜻蛉草などが自生しています。また、三日月草、山鳥薇の優占種もあり、春竜胆、水菊、煙管薊、水擬宝珠、沢桔梗なども見られます。昆虫類では湿地特有の八丁蜻蛉や姫太鼓打などが見られ、仏泥鰌や田子蛙なども生息しています。また、湿地特有の昆虫ではありませんが、市内でも数少ない岐阜蝶が見られる場所です。

この貴重な自然を守るため、毎月ボランティア活動が行われています。そして、自然観察会が、年三回、春、夏、秋に行われています。大勢では無理ですが動植物が好きな方にはお勧め。一句得られれば幸いです。

春りんだう木道軋む音軽し   酔雪


 平成27年10月
 愛知牧場
  井沢 陽子
  

  馬の唄馬に聴かせて秋うらら         明子

 馬に歌を聴かせたのは私である。愛知牧場へ行くとまっすぐ馬舎へ行く。大きな窓から顔を出している馬がいれば話しかけ、いなければ声をかけるとどれかが顏を出す。

そこで馬の眼をじっと見ながら「ウマさん、こんにちは。歌をうたってあげるね。」と言って馬の唄を三曲うたう。

♪ぬれた子馬のたてがみを 撫でりゃ両手に朝の露…♪お馬の親子は仲よしこよし…♪ハイシハイシ歩めよ子馬…

 馬は私を見ながらじっと聴いてくれる。句友と行くと、呆れて笑って前掲のような句になるのである。戦前の歌もあるが昔覚えた歌は忘れない。馬だって喜んでいる。

窓の前に柵ができたのは数年前で、撫でると噛みつく馬がいるからというが私は噛まれたことはない。

  山羊のひげ三つ編みにして春うらら   陽子

 これも私で句友に輪ゴムをもらい止めてあげた。愛知牧場のようにタダで入れて動物に触れたり広大な牧場のすみずみまでゆっくり回れたりして、親子で楽しめる所はほかにない。ここではみなリラックスして楽しそうにしている。句はできないが馬に歌を聴いてもらうだけで嬉しい。



 平成27年9月
鹿
  利行 小波 
 

 青田道の向こうに懐かしい石垣が見えてきた。久し振りのふる里は、風や水、鳥の声までも心に沁みる。

 父母の墓へは家の庭伝いの緩やかな山道を高台まで少し歩いていく。仏花のグラジオラスを抱えて登る途中、3m程の金網の柵が道全体に張り巡らされているのにまず驚いた。そして、大小の獣らしき足跡にまたびっくり。これは、大きいのが猪、小さいのが鹿である。以前は国東の両子寺で十頭位飼っていたのだが、今では、それが繁殖して餌を探しに里山まで下りてきたそうだ。森の植物の芽や竹の子、そして今は稲の新芽を食べに近くの田んぼまでも荒らしていく・・・と苦い顔をして兄が話してくれた。(それで田の一角には赤いテープが張られていたのだ。)山道の途中、鹿の捕獲檻が青草の上に置かれていたのに、何かうすら寒い思いがした。共存共生とはいえ、田舎を守っていかねばならぬ農家の人にとっては、やりきれない思いであろう。

 反面、その命を思うと複雑な気持ちになり、私は兄の後を追った。この山里がいつまでも平穏でありますようにと願いながら。広々とした青田が、静かに波うっていた。

  鹿と勢子引き合ふ綱の張り強し       小波   


 平成27年8月
  UFOを見た
 松原 和嗣
 

六月一日の深夜、我が家の上空にUFOを見つけ大騒ぎ。正体は、世界一周飛行に挑戦中のソーラ飛行機が、中国からハワイに向けて飛び立ったが、天候不良で名古屋飛行場に緊急着陸したもの。

この飛行機は太陽エネルギーのみで発電しながら、推進力を得ると同時に電池を充電して夜間飛行に備える事で、理論上は永遠に飛び続ける事ができるそうだ。 

以前テレビのバライティ番組で放送していた、「ソーラーカーでの日本一周の旅」は、日没までに目的地に到着しないと動かなくなり、夜間にこっそり充電をしていたと言う話を聞く。ソーラとはその程度のパワー・技術と思っていたが、今回のソーラ飛行機は、とんでもなく進化していた。燃料もゼロなら、公害もゼロ、空気を汚さなくパワーを確保できる再生エネルギー技術の進歩にびっくり。

東日本大震災での原発事故をきっかけに、再生エネルギー促進が盛り上がったが、今は原発の再稼働が勢いを増している様だ。そんな中でのUFOの発見。

ゆっくりで良いから、正しい方向に飛んで行って貰いたいものだ。


 平成27年7月
 土の記憶
  大島 知津
  
 ぎすの子を枕辺に置き吾子眠る   知津

 虫博士と呼ばれた息子が幼い時、一番熱心に育てていたのが「ヤブキリ」でした。キリギリスよりも大きい5cmぐらいの雑食の昆虫です。「ヤブキリ君に新鮮な餌をあげる」と言う息子の餌取り(昆虫採集)に付き添うのが私の日課でした。

 私の住む守山区には小幡緑地公園という大きな公園があります。二人の子供達が小さかった頃はよく出かけては日の暮れるまで虫を捕まえたり、落葉や木の実を拾ったりしました。

  影長くなるまで吾子と椎拾ふ    知津

 都会の中にある小さな自然であっても、自分よりも小さな生きものや草や土に触れた記憶は、子供達の成長に大切なものを刻んだと思います。小学校の校庭にあった鬼胡桃の実を何十個も拾い集め、今も大切に持っている娘はイラストレーターとなり、虫を追いかけていた息子は農林高校を卒業し、現在は全寮制の農業大学校で日々土と格闘し、作物を育てています。

  農業を学ぶ子遠し麦は穂に     知津


 平成27年 6月
苗木植う  (庭に(ずみ)を植えました)
 野島秀子
 

環境省の「都市における温暖化への適応」という講演の中で、「地域性苗木(郷土種)の植樹の勧め」という提案があった。内容は、その土地で育った樹木の種子を育てて植栽し、都市の緑地の回復を図るという活動で、既に官民が協力してその試みを始めているという。

これまでは、一般的に雑木林や丘陵地が造成され住宅地や道路にされると、その跡を繕うように、外来種や園芸種の樹木がその公園や街路に画一的に植栽されてきた。

講演での提案「郷土種の植樹の勧め」が推進されていけば、より地域になじみやすい緑地が回復し、地域の生き物たちも戻り豊かな森が再現されていくのではないか・・・。気の長い話ではあるが、このような小さな森の広がりが、温暖化を和らげる一助になることも期待できる。

この講演の終わりに、郷土種の一つである桷の苗木をいただいた。桷は今でも、名古屋やその近郊で見受けることができる、バラ科の落葉木である。開花は初夏、真っ白な花が樹冠を美しく覆い、秋には赤や黄の果実をつける。早速、日当たりのよい場所を選んで庭に桷を植えた。

  たちよれば深山ぐもりに桷の花    蛇笏


 平成27年 5月
 柚 子 坊
   磯田なつえ
 

屋敷畑の隅に柚子の幼木が一本ある。初めて花をつけたので実がなるかと楽しみにしていたものだ。

ところが、外出が続いて忙しくしていたら、いつの間にか葉を食いつくされてしまった。揚羽の幼虫がいつの間にか丸丸と太ってこちらを見ていた。緑色をして背中にへびの目のような黄色と黒の模様、大きな頭と胸の間からオレンジ色のつのが愛らしい。踏んづけてしまう気にもなれず、これを小三の俳句授業に枝ごと連れて行った。教室で紋白蝶を卵から育てていた子供たちだ。

「おー」と寄ってたかって、匂いを嗅いだり突いたりして遊び、俳句つくりに取り組んだ。

  ゆずぼうのふんはみかんのにおいする  小林夢月

  雨がふるモンシロチョウはどこいった  福田 花

授業の準備で、揚羽の幼虫を「柚子坊」と呼び芋虫の副季語であることを知った。ついでに、「柚子坊」は四回脱皮を繰り返した後の五令幼虫で、へびの目のような模様で敵を驚かしたり、オレンジ色のつのからは、臭い匂いを出して追い払うのだとか。思わぬ勉強をさせて貰った。揚羽蝶を見る目が変わるかもしれない。


 平成27年 4月
藤川宿と紫麦
  新井 酔雪
 
 5月9日(土)に岡崎の東海道藤川宿にて第4回自然と親しむ吟行会を行います。紫麦については、既にこの欄の2月に坪野洋子さんに紹介して頂きました。さらに吟行会を控えて少しでも紫麦のこと、藤川宿のことを深く知って頂きたいとの思いで、地元の新井酔雪さんに詳しく書いて頂きました。
 ここには紫麦について、麦の種類から始まって、一時は幻となってしまった紫麦の復活に向けて「藤川まちづくり」の一環として活動された経緯などについて詳しく書かれています。
 そしてここ東海道藤川宿の見所などについても詳しく書かれています。また芭蕉が作ったと言われている「紫麦句碑」もあり、この句が作られた経緯も詳しく書かれています。
 実に詳しく調査し、写真の引用も豊富です。自然と親しむ吟行会に参加される方はもちろん、参加されない方も紫麦のことを知って頂き、いつかは藤川宿を吟行して貰いたいものと思っています。
 このページの紹介文は国枝が書きましたが、酔雪さんの労作である吟行案内文については次のPDFを開いて下さい。(隆生)
  紫麦と藤川宿(PDF版) このタイトルをクリックして下さい。

 
 平成27年 3月
 
 熊澤 和代
 
 家の近くに小さな森がある。ここに団地が出来た時、山の一部をそのまま残し遊歩道を巡らせただけのゆっくり一周しても十分程のものであるが、子供たちが秘密の基地を作ってかくれんぼや探検ごっこをしたり、夏休みには子供会で肝試しをするのに最適の場所であった。つつじや萩、あきのきりんそう等の花やなつはぜ、山帰来の赤い実等も見かけ田舎育ちの私のお気に入りの場所でもあった。

もう二十五年も昔の話であるが、学区の中学校が荒れていた時代、この森でシンナーや煙草を吸っている者がいて危険だと言う事で、木を間引き灌木をことごとく切り払って、外から一目で見通せる様に整備された。そして、森から花や鳥が消え、遊ぶ子供たちもいなくなった。

森の一部を崩してコミュニテイーセンターが出来て以来、コーラスの練習後や買い物帰りに時々立ち寄ってみる。森のベンチに座り、梢を渡る風の音を聞きながら抜ける様な冬の空を見ていると、昔に戻った様でうれしい。灌木の茂みがあちこちに増えて、四十雀や尉鶲も来ているようだ。

 冬空の青極まれば音の無き  欣一


 平成27年 2月
  紫麦
坪野 洋子 
 

東海道藤川宿は品川宿から数えて三十七番目の宿場で脇本陣や高札など昔の面影が残る町並みである。ここ藤川は芭蕉も訪れており〈ここも三河紫麦のかきつばた〉と詠み十王堂には身丈を越す大きな句碑が建てられている。

この句は「かきつばたで有名な知立宿も三河なら、この藤川宿も三河、ここにはむらさき麦というかきつばたに劣らぬものがある。」と解釈すると難解な句もなるほどと肯ける。

紫麦は一時、幻の麦と言われ、絶滅近くになったものを藤川町づくり協議会では栽培復活やオーナー制度の継続などの保存活動により、平成六年に復活された。今では藤川に美しい田園風景を広げて訪れる人を楽しませてくれる。

奔放になだれ紫麦熟るる        伊藤 範子

ここで私が見た紫麦は刈り頃の熟れきった麦で、長い禾を撓らせている優美な姿にうっとりとした。

また協議会の鈴木さんに紫麦のお握りを頂戴した事があった。ぷちぷちとした食感が食欲をそそる美味しさだったが、当時の人は好まなかったのか、加工の難しさがあったのか次第に作られなくなっていったという。これが今は町おこしの原点となったことに敬意を表したい。



 平成27年 1月
 ESDと俳句
 新井 酔雪
 

今、学校ではESD教育に取り組んでいます。ESDは、Education for Sustainable Developmentの略で、「持続可能な開発のための教育」と訳されています。世界は、環境、貧困、人権、紛争などの問題に直面しています。ESDとは、これらの課題を自らの問題として捉え、持続可能な社会を創造することを目指す学習や活動です。

ESDの取り組みの中心を担っているのがユネスコで、平成二十六年十一月十日に、名古屋市でESDに関わるユネスコ世界会議がありました。ご存知の方もいると思います。

ESDの中でも環境教育については、どの学校でも取り組んでいます。ただESDという教科はないので、各教科の中から、環境や自然に関わる単元・教材を組み合わせ、子供たちに何を考えさせるかを目指して、取り組んでいます。

わたしは、俳句も自然を詠むということで、小学五年生に環境問題としてESDに取り入れました。日本には四季があり、日本人は、昔から自然と共に生き、自然を大切にしてきたこと。富士山など山でさえ神と見ていたこと。そして、古くから自然を短歌や俳句に詠んできたこと。以上のような話をし、最後にみんなで俳句を作って授業を終えました。




 平成26年12月
 伊勢湾の恵みー海苔 
伊藤 範子
 
最近、飛行機を利用する機会が増えた。いつも通路側の席にしていたが、近ごろは窓側を取っている。窓側はどこの上空を通過しているのか考えるのが楽しく、一時間半があっという間に過ぎていく。中部空港の周辺では海苔篊が林立しているのが見える。知多は海苔の養殖の生産地である。「海苔掻く」は春の季語。「海苔篊」「海苔粗朶」「海苔舟」など副季語も多い。私が生まれ育った東海市でもかつては農閑期に庭先に簀を立てかけて、木枠を用いて海苔を天日干しにしていた家が何軒もあった。海苔が大好きな私はあの路地に漂ってくる潮の香りにもう一度まみれてみたくなる。

父母の若い頃には海辺で浅蜊もとれたと聞いたし、従兄は林間学校で遠泳の訓練をして聚楽園から新舞子まで泳いだという。今は当時の面影はなく、製鉄所の白煙が上り続けている。その製鉄所も最近出火があり工場そのものも老朽化してしまった。

機内から高速道路や開発によって削られた山の斜面、海に張りだしたコンビナートなど、人工的なものを俯瞰的に見下ろしていると、様々な利便性を享受しながらそれと引き換えに美しい自然を失っていることを少なからず感じる。知多の海がいつまでも美味しい海苔の採れる養殖場であってほしいものだと思った。

沢木先生、細見先生の「海苔」の句を全句集で探してみた。沢木先生の昭和37年の句は浦安との前書があった。今はリゾート施設のあるところだろうか。

海苔干場火の見の脚に掛大根    欣一S37

海苔かわく野に鉄片の腐りたり     〃 

歳晩や童女が拾ふ流れ海苔       〃

海苔の粗朶稲架木の如し遠つ海     S44

細見先生の句は全句集によると「補遺『牡丹』以後」にあるので平成8年の作ではないかと思う。

  手のとどく処に置いて海苔の缶   綾子

 全句集の写真に先生の炬燵の上に海苔の缶らしきものが写っていた。先生も海苔がお好きだったのかなと思うと何だか嬉しくなった。そしてもし最後の晩餐には何が食べたいかと聞かれたら、私は「もちろんパリパリの海苔むすび」と答えるだろう。

 


 平成26年11月
 お月見泥棒 
 井澤 陽子
 
 今年9月、はじめてお月見泥棒のお宿をした。私の住む地区では初めての行事らしい。行事の名前は知っていたし、二年ほど前隣の地区の友人を訪ねたとき、門前の台の上にお菓子を詰めたビニール袋が積んであって、そのうち子供たちが三々五々やってきてはもらって行くのを見ていたのでどんな行事かはわかっていた。

 旧暦815日の夜は仲秋の名月を賞でる節であり、月に供えた団子や芋を子供がゲームや遊びのように盗みにくる風習がある。この供物はとられても咎めない、「十五夜様が許す」といって供物をとられた家は縁起が良いと喜んだり、とってきた団子を食べると健康でいられるという伝承からの行事のようである。
                       (日本の年中行事事典・吉川弘文館)

  <希望する方はぜひお宿を>という回覧板の呼びかけに「ハイ」と即、手を挙げたのだった。子供は好きだしおもしろそうだし・・。
その後役員さんと色々やりとりがあって98日の当日となった。

 スーパームーンの前日である。お菓子は手作りや生ものはだめ、駄菓子でよく人数は50人分位、費用は自分持ち。通りに面した裏庭に古い卓球台が半分野ざらしで置いてあるのでその上に積むことにした。「お月見泥棒やってます。」と書かれた月に兎、団子の絵も楽しいお知らせの張り紙が届けられた。お菓子がなくなると「お月見泥棒おわりました」というのを張るのである。
 お菓子のそばにはついていてもいなくてもいいという。学校が終わってから来るので4時ごろになるらしい。自転車や車で回るのはいけないという。

 さて卓球台にソファに掛ける布を敷き、庭のススキをいっぱい花瓶にさして飾った。庭で採れた茗荷40個ばかりを小さなざるに入れて「お好きなかたはどうぞ」と張り紙をし、ビニールの小袋を用意した。
 子供たちが来るにはまだ間があるが、台に山のように積み上げた菓子袋を見ていると(残ったらどうしよう、足りなかったらどうしよう)とドキドキしていた。
 思えば、お月見泥棒を申し込んでまもなく右足の指を骨折しまだ足底板という簡易ギブスをつけた不自由な生活になっていた。
 明道町のお菓子の問屋街に買い出しに行くつもりでいたのに駄目になり、生協の注文書で(これも喜ぶかも、あれも喜ぶかも)と7種類ほど注文したらびっくりするほどの量になり、段ボール箱が山をなし、1万数千円になって他の人はどうしているのかナと思っていた。

  もうそろそろ4時が近くなった頃、花瓶のススキに西の空からの光がさして「素敵だな」と思いながら待ち構えていた。
 突然、向こうの坂の上の方からドドドーッと大きな子たちが数人かたまって走ってきた。「アリガトウゴザイマ~ス」と言ったかと思うとアッという間に駆け去って行った。次のお宿へ少しでも早く行くのだろう。リュックを背負っている子、大きな手提げを持った子もいる。子供たちの写真を撮ろうと待ち構えていた私は茫然とするばかりだった。こうして子供たちは次々現れては走りさった。
 少しゆっくりしている子には「茗荷があるよ。いらない?」というと「お母さんが好きだからもらって行く」などやりとりして茗荷も減っていった。
 始めて1時間ぐらい経ったころ最後の泥棒さんたちが5,6人お母さんに手を引かれて、トボトボとやってきた。2,3歳くらいか・・
 その時には台の上は空っぽになっていたので「ウワァ、ごめんね。ア、そうだ」と半端になって残っていた2,3種類の菓子を思い出し取ってきて小さい泥棒さんに分けた。数がちょうど合ってよかった。
 茗荷も「大好きですー」というお母さんがみんなもらってくれた。
 お母さんの一人が「大きい子たちはどんな風でしたか?」と聞くので「台風のようにドーッと何波にも分かれてやってきました。そういえば大きい子から順に走ってきました」と言うと大笑いになった。お宿の地図を読み足も速いのは、当然年長の子だ。

  後日友人に話すと「あなたお菓子が多すぎる。子供は何軒も回るのだからもっと安い物で少しでいいのよ」と笑われた。そうか、でも来年は70個分用意しよう。翌日、近所のお母さんが「井沢さんのおうちのが一番豪華でした。ありがとうございました」と言ったので、私は笑いながら(イヤー、来年はそうはいかないよー。ポテトチップスはやめるしー)と思っていたのだった。
 日本の古い楽しい行事にかかわれてよかった、楽しかった。
 来年は安くて楽しくおいしいお菓子をさがさなければ・・・

   かたまってお月見泥棒駆けきたる     陽子

 
 平成26年10月
 ヒツジグサ(未草
  野島秀子
  夏ばて気味の体を癒しに、姫街道の自然観察会に出かけた。涼しげな夏木立や青田風に背を押され、いつしか元気に街道歩きを楽しむことができた。その日一番の収穫は、自然界では絶滅が危惧されている、未草に出合えたことである。その未草は、街道脇の池に静かに浮かびほつほつと咲いていた。往時、この池の辺りは、弁天を祀り茶店などもあり、旅人の憩いの場であったという。

  昼暗き古池灯もす未草       秀子

未草はスイレン科に属し、日本固有の唯一の睡蓮である。花は白色で五センチ位。外来の睡蓮に比べると、とても小さいが凛とした気品があり愛らしい。花期は六月から九月中頃。名前の由来は未の刻(午後二時頃)に咲くからと言われているが、実際にはもう少し早くから咲きだす。開花は、わずか三日間であるが、雌しべを先熟させ同花受粉を防いでいる。未草が絶滅していくのは、未草が沢山咲いて他花受粉し易い環境が減ってきたことも一因であろう。

未草と同様、華奢な姫河骨、姫菱など日本固有の水生植物が失われていく一方、南米や北米原産の逞しい布袋葵や長葉沢瀉、大カナダ藻等が繁殖し生育場所を広げている。

 
 平成26年9月
 国枝 隆生
 
  鰻の日カラヤンよりも寅次郎   沢木欣一   平成元年

 沢木先生は鰻が大好きだったようだ。掲句の〈カラヤンよりも寅次郎〉のフレーズからいかにも庶民的な雰囲気のある句である。平成元年頃は鰻はまだ安く、自由に買うことが出来た。
 ところが今年の土用丑の日には鰻が手の届かないくらい高値になってしまった。
 6月12日に国際自然保護連合(IUCN)が発表したレッドリストでは、ニホンウナギが「絶滅危惧種1B類」に指定された。これは「近い将来野生での絶滅の危険性が高い」という分類だ。これには法的規制はないが、資源量が回復しなければ、国際取引を規制するワシントン条約の対象になりかねない。鰻の稚魚の輸入が禁止されるということになる。
 現状は天然稚魚を中国から輸入して、親鰻に養殖している.昨年が極端な不漁だったため、今年はわずかながらの増加傾向にあるという。と言っても減少傾向にあることは疑いのない事実である。
 夢はクロマグロのような完全養殖だ。しかし稚魚の生態が太平洋の遙か彼方で生まれるとのことで全く分からない。それでも一応実験室では完全養殖が成功しているが、現在では一匹育てるのに数万円かかるという。まだまだ実用化にはほど遠い。

 掲句に戻り、沢木先生の鰻の思い出となると、平成12年に遡る。当時、鈴木みや子さんは句集『蒲郡』出版のため、句稿を沢木先生に託していたが、先生の多忙と入院中のことで、なかなか進まなかった。丁度その頃、私は「風作品」で巻頭を頂いたことと合わせて、みや子さんと二人で新宿の鉄道病院へお見舞いに出かけた。この時、みや子さんは沢木先生が鰻が好きだったということをご存じで、静岡駅で鰻弁当を買って先生に差し上げた。
 先生はベッドに座っていたが、思いの外、お元気で話が弾んだ。.そして鰻弁当を差し上げたところ、先生は「私は全部食べきれないので、国枝君も半分食べなさい。」と言われ、ご相伴にあずかった。
 その後、みや子さんの句集は先生の選と題簽を頂いて、無事上梓することが出来た。先生の選を受けた句集はこれが最後になったのではないか。

 こんなこともはるか昔の話となってしまった。

   師と鰻食べし日遠き十二階    隆生

 
 平成26年8月
 ひよどり考
浜野 秋麦
 以前に「花にひよどり」云々と言う句をネット句会に出したことがあります。その時に「(ひよどり)は秋の季語です。」と指摘を受けました。鵯は、漂鳥もしくは留鳥で、関東でも関西でも平地で一年中見られる鳥です。なぜ秋の季語なのだろうか不思議に思いました。同じ漂鳥でも百舌ならば、あの特徴ある高鳴きは疑問の余地なく秋の季語です。手元にある歳時記(数冊ですが)で「鵯」の解説を見てみると「秋になると・・人里近くへ降りてくる」「とくに秋になると人里に現れて」等とあります。唯一例外は現代俳句歳時記で「秋」の他に「通季」の記載もあり、「最近は、平地でも繁殖し、年中見られるようになっている」とありました。一年中見られるようになったのは近年のことのようで、昭和の三十年代から、郊外に個人住宅が建設され、十年もすると庭木も茂り、繁殖する鳥も多くなったようです。

 生活・行事の季語は時代にそぐわなくなれば、すぐに気付き、改定されるのも早いのでしょうが、動物にしても植物にしても、いつの間にか生態が変わっていても気が付かないことも案外多いのではないでしょうか。
 家の欅に懸けられた巣から鵯の雛がどうやら無事に巣立ったらしく、しきりにヒイヨヒイヨと鳴いています


 平成26年7月
 「環境問題」思いつくまま
 松原 和
 

 人類はめまぐるしい発展を遂げ人々は便利で快適な生活を手に入れた。しかしこの様な進化の過程で私たち人間は地球環境に多くの犠牲を強いてきた。その結果、深刻化する地球環境問題が浮上して久しい。

生命の維持に欠かせない恵みを与えてくれる地球環境は、相互に作用し合い、絶妙なバランスを保ちながら地球上の生命体を育んでいる。当然人類も地球の生態系の一部であり、人類は地球に生かされているという事を再確認したい。

地球環境問題は自分の手で自分の首を絞めている状態であるが、その本当の苦しさは孫・曾孫その先の子孫に及ぶ事である。これは、いじめ問題が無くならないのと同様、判っていても自分には被害が及ばない事を良い事にしらんぷりするのと同じ様な行為である。

 地球誕生(約46億年前)から今日迄を1年間のカレンダーとして見ると、人類の祖先(新人)が誕生したのは12312358分頃で、地球環境に影響を与えだしたと言われる産業革命は1231235958秒頃となる。地球からすると、急に表れて資源の大量消費・有害物質の流出・大量廃棄物の排出等、やりたい放題の頭の良いウイルスが急に蔓延し始めたと思っているに違いない。

 そして蔓延したウイルス(人類)は、地球に及ぼした環境の影響に驚き、増加し続けている世界人口、現状71億人が2065年には100億人を突破すると予想される為、人類の生存に不可欠な食糧や水の不足、産業社会を支えるエネルギー資源の不足、消費の増大による地球環境破壊の加速を心配し、地球規模で複数の要因が複雑に絡み合っている諸問題を解決していこうと云う機運が盛り上がりつつある状況と思われる。日本に於いての人口減少による年金が支えられないと云う年金問題とはスケールが違うのである。

 さて日本でも、平成12年に循環型社会形成推進基本法を定め「大量生産・大量消費・大量廃棄」型の経済社会から脱却し、環境への負荷が少ない「循環型社会」の形成を推進する枠組みとなる法律を制定し、そのキーワードは3R「リデュースReduce:廃棄物などの発生抑制」「リユースReuse:再利用」「リサイクルRecycle:再資源化」との事。

 私としては、3R活動には、一般市民のモラルとして細々と関わって行こうと思っている。また、小さな小さな畑で豊かな実りをもたらす土と戯れ、降り注ぐ太陽の光に汗を流し、野菜の色・形に感動できる家庭菜園をとおし、四季の移ろいを満喫していきたい。

 最後に、中日新聞の522日朝刊コラム「中日春秋」の記事を転記します。

 (戻らない子猫よ放射線降る夜)。福島県須賀川市に住む俳人、永瀬十悟さんは三年前の春、五十句を一気に詠んだ。震度6強の揺れで自宅は半壊した。そして原発事故。「今まで食べられたものが食べられなくなり、触れられたものが触れられなくなる」。当たり前の自然や暮らしが汚されていく日々。句集『橋朧』には、静かで深い怒りがにじむ句が並ぶ。〈被曝量不明の庭の五加木摘む〉〈燕来て人消える街被曝中〉。永瀬さんは、福島の人々の今の思いを「三日月湖」にたとえる。あの時「もう原発はやめよう」という大きな流れができていたはず。その流れがいつの間にか蛇行し、原発を動かすのが当たり前のような流れになり、取り残され孤独な湖となった人々のこころ。だが、大飯原発の再稼動は認められないと断じた福井地裁の判決を読めば、脱原発の思いは決して「三日月湖」ではなく、まだ大きな流れだと分かる。人の生存に関わる権利とコスト云々を、同列に論じていいのか。福島の汚染を目にしながら、原発は環境保全に資するクリーンエネルギーだと主張しうるのか・・・。これらの論点に明確な判断を示した今回の判決を、一人でも多くの人に読んでほしいと思う。永瀬さんは、こんな句も詠んだ。(騒がねば振り向かぬ国ひきがへる〉。裁判所は振り向いた。政府はどうだろうか。 以上。

 再度考えて見ましょう、私ならどう思うかを。

 


 平成26年6月
 竹 人 形
 利行 小波


春まだ浅い日、機会があり、越前竹人形館に立ち寄った。

入るとすぐ、その一角に座して人形の髪を製作中の竹人形職人に出会えた。和人形の髪の一本、一本の生まれるその手元に、いきなり釘付けになった。すでに割られた細い竹を、さらに極細にするために刀を割り入れる。一体の人形の頭にこの0.03ミリ程の竹の髪が、五千~七千本植えつけられていくという気の遠くなる様な作業だ。細くなる程に、竹の生命力が人形に宿り始める気がして、私は一人、この神秘的な空間に浸っていた。

廃材で何か出来ないかと、遊び心で始めたのが越前竹人形の始まりと聞いた。この自然の恩恵から生まれた竹細工に、俳句も通じる所があるのではないかと思う。

ふと、幼い頃に駈け廻った、故郷の竹藪の風の音や、眩しい程の光が蘇った。あの故郷の息吹がいつまでも、心の拠り所になれるようにと願う。この北陸の伝統文化や、豊かな職人技に触れて改めて、人と自然の繋がりを感じた。

見飽きる事のない竹人形の見学を終えて外に出ると、裏の竹林に春の雨が明るく光っていた。

      越前の竹のさやぎや風光る     小波
 
  平成26年5月
 ビオトープの復元
源兵衛川の場合
 国枝 隆生
  皆さんはビオトープというとどんなイメージを描きますか。よく言われているように学校に田んぼを作って子供達に環境意識を持って貰うのもビオトープ創出活動の一つです。しかし「ビオトープって、俳句に関係あるのですか。」という疑問を持たれる方もいると思います。
 ビオトープの語源は生き物(Bio)がありのままに生息活動する場所(Top)という意味の合成されたドイツ語です。従って生き物の自然環境と思えばよいし、人間の手が入った公園、里山のような生息地もビオトープと言ってもよいでしょう。

 また俳句の世界で広く四季の自然、動物、植物を詠むことは、俳人が自然環境、生物多様性の恩恵を受けており、ビオトープもこの恩恵の範疇に入ります。
 「伊吹嶺」では会員の環境を考える一助となることを目的に二年前から、栗田主宰のお勧めにより、環境に向き合って「自然と親しむ吟行会」を続けています。今年はビオトープ復元の一つのモデルとして三島梅花藻の里から源兵衛川を歩く吟行会を予定しています。

    風花や富士湧水は音立てず   栗田やすし

 栗田主宰の掲句の三島市周辺は富士山の豊富な積雪が伏流水となって、あちこちに湧水群が発生します。代表的な柿田川と同様に、楽寿園は源兵衛川の起点となり、下流域の水田へ供給する湧水を形成する池を持っています。かつては三島湧水群を代表する水量を誇っていましたが、上流域の工業用水の汲み揚げにより楽寿園の湧水は枯渇し、さらに生活排水のたれ流しにより源兵衛川の水質は悪化の一途をたどってきました。平成五年頃、水環境整備事業として、川の浄化工事が始まりました。そして一九三〇年頃源兵衛川で初めて発見されたものの、その後の川の汚染により絶滅したと言われていた「三島梅花藻」も柿田川で再発見され、源兵衛川に移植されました。また湧水は隣の佐野美術館湧水から引き込まれ、三島梅花藻の里として整備されています。現在は各NPO法人によって、源兵衛川、三島梅花藻の里のビオトープ復元活動が続けられています。

 源兵衛川は「川のみち」として、飛び石、浜下りデッキ、川辺の小広場、ベンチ、川端(かばた)などを見ることが出来、さらに雑排水をろ過するろ過枡も作られています。吟行が行われる七月六日はこの三島梅花藻の里、源兵衛川を歩くことによりビオトープの復元状況を確認し、句材として詠んで頂きたいと思います。またこの頃は暑い時期ですが、川の中の木道を歩くことにより涼しさを実感できると思います。

 
三島梅花藻の里
 
源兵衛川の梅花藻
 
 
季 語 と 環 境
                                 熊澤 和代 
 
 季語は風土の産物と言われるが、環境が変化した為に季感が変わったり、消えてしまいそうな季語も多い。例えばハウス栽培が盛んになり、夏の苺は春に、秋の西瓜は夏に、春のシクラメンは冬に間違えられることが多い。暑気払いに飲まれていた甘酒に至っては、冷房の普及した今日ほとんどの人に冬の飲み物と思われている。

 又、窓がサッシになり隙間風の入る事もなく、冷暖房完備で火鉢、炭団、金魚玉、蚊やり等もそのうち死語になりそうである。子供の頃薄暗い台所の流しを這っていた蛞蝓や、どこにでもいた蚤、虱は近年とんと見かけないし、蛆虫などは詠みたくても詠めない季語になってしまった。春の羅宇屋(キセルの火皿と吸い口をラオス渡来の黒斑竹の管で継ぐ職業)は、キセル自体を見る事もほとんど無い。

 梅雨の土かがやきて這ふ蛆一つ  沢木 欣一

    梅ひらく羅宇屋の笛の二タ音色  秋元不死男

 季語は又、新しく生まれるものでもある。滝は比較的新しい季語で最初は季節感より神として崇められていたが、近代になって涼気を誘う、ものとして認められるようになった。

    伊豆晴れて万城の滝轟けり   栗田やすし    

 このように季語は環境の変化によって消えて無くなったり、新しく出現することもあるが、俳句は季語を大切にする文芸である。眼前の自然と向き合い語りかける季語に耳を澄ませ、見過ごしてしまいそうなことを詠みたいと思う。
 又、優れた先人の季語の働いている句を十分に味わいたいが、その為には歳時記から消えて行くような古い季語も大事にしたいものである。(写真は伊豆の万城の滝)

 
 平成26年4月
 クロメンガタスズメ北進!
                                     野島 秀子
  植物園のガイド受付の机に、翅を広げると十二センチ程の大型で黒褐色の蛾が展示してあった。園の(よる)(がお)の棚にいたので、捕まえてきたのだという。腹部の紋が歌舞伎の隈取りのような顔に見えるところから、名前をクロメンガタスズメという。驚いたことに腹を触るとキーキーと鳴き声を上げた。蛾が鳴くなんて、少し不気味ではあるが珍しい蛾がみられ、その日はとても得した気分であった。

この蛾について調べてみると、「もともとは九州以南に棲む南方系の蛾であったが、地球の温暖化で二〇〇〇年頃から関東地方まで北進してきた。幼虫も大きく十センチ程まで生長するので、薩摩芋・馬鈴薯・胡麻などの葉への食害は甚大。成虫は蜜蜂の巣に穴をあけ盗蜜するので蜜蜂業者を困らせている。」とあり、クロメンガタスズメは、人間にとっては大変な害虫で、歓迎される昆虫ではない。この強力な蛾の出現は、在来種の居場所を奪うことになりかねない。生態系にも影響を及ぼすと思われ気掛りな事である。  

温暖化の影響は、私たちの身の周りの生き物にもじわじわと押し寄せていることを実感させられた。

CO2だすと地球がねつを出す (エコ川柳・小四)

 
 平成26年3月
  瀬 戸 川
                                  矢野 孝子
  つばくらめ陶土にごりの白き川     沢木欣一
 
水鳥が戻った瀬戸川
 
陶土山

 昭和53年に沢木先生が〈陶土にごり〉と詠まれた瀬戸川は、瀬戸の街を貫くように流れている。その頃は陶器工場の排水で汚れた白い川が、地場産業の繁栄のバロメーターと言われていた。魚を確認出来ないほど濁り、岸辺の草は泥水に汚れて白くなっていたが、見慣れたその光景に当時は疑問を持つ人も少なかった。

 自然や環境の事が問題視され始めてから、陶器工場の排水の垂れ流しが規制され、工場の敷地内に沈殿槽を設けられた。その槽のうわ水のみを流すようになり、今では橋の上からでも魚の影が確認出来る程になって来た。

 外出のついでに磧に下りて歩く事がある。川岸がタイルで被われて歩き易くなったが、植物や昆虫の数は確実に減って来ている。それでも四季折々の景色に出会うことが出来、俳句を学んでいるものにとっては有難い場所である。

土筆や芹や蓬が生え、鵜・白鷺・鶺鴒・鴨等が飛来する。翡翠は一年を通して出会う事が出来る。やはりこの鳥は特別な存在で、その姿を追って思わぬ遠くまで歩く事もある。

 鯉・亀・すっぽんも見かけるが、ヌートリアが、磧を掘り荒らしている光景だけは不気味だ。生態系が崩れて行くのが心配である。

 瀬戸川の水が澄んで来た事は、陶器産業の衰退が大きく関わっていると言われている。今日も、複雑な思いで瀬戸川の岸辺を歩いた。 

 
 平成26年2月
 病む地球と水の地球
                                   国枝 隆生  
 

 病む星てふ地球に住み露けしや      鷹羽 狩行

掲句は「狩」平成二十年十月号に掲載されたものであるが、当時の中日新聞の「けさのことば」で岡井隆氏は「病む星」とは異常気象の他、紛争、テロにまみれた世界と解釈し、現代の地球を憂いていると解釈されたものだったと思う。ただ私は既に「伊吹嶺」誌に書いた内容は、〈露けしや〉の解釈がポイントで、この地球は環境汚染により病んでいる。そんな地球に住んでいる私達にとって、その回復の兆しはあるだろうか。〈露けしや〉は本当にそうであろうかという疑問形だけでなく、願望も含めた〈露けしや〉と解釈した。一方、次の様な句もある。

 水の地球少し離れて春の月         正木ゆう子

句集『静かな水』に所収された句で、著書の『十七音の履歴書』によればこの句集を宇宙と水のイメージで構成しようと思い、掲句を巻頭に、そして掉尾に〈春の月水の音して上りけり〉を配している。掲句についてのそれ以外の感想はないが、〈水の地球〉に前向きな姿勢が見える。この言葉から宇宙飛行士のガガーリンの「地球は青かった」の発言を思い出す。〈水の地球〉は環境に恵まれた豊かな星で、〈春の月〉にも水のイメージを感じる。掲句自身には、環境問題の意識は見られないが、私は環境保護を通じて、いつまでも水豊かな地球であってほしいと思う。

 両句を比較して、改めて俳人にとって環境問題に関心を持つべきだと思った。

 
 平成26年1月
 愛蛇(かなへび)
 玉井 美智子
   猫の額ほどの我が家の庭で野菜を作っているが、農薬や化学肥料は使いたくないので生ごみや精米した時の米ぬかなどをせっせと埋めて肥料がわりにしている。その為か土を起こせばピンク色の透き通った蚯蚓がうじゃうじゃ生まれてくるし、春になれば虫の赤ちゃんも沢山生まれてくる。虫を狙ってくるのが「蜥蜴」とも呼ばれているカナヘビである。尻尾が蛇のように長いから『ヘビ』なのだが、人懐こいし仕草もかわいいので蛇の苦手な私でも見ていて飽きない。カナヘビは可愛らしい意の「(かな)(へび)」とする説がある蟷螂もそうだが害虫を食べてくれるので助かっている
 保育園の子どもたちは、手のひらに載せて撫でたりして可愛がっていた。我が家のカナヘビは人が近づいても逃げないばかりか、クリクリとした愛らしい目でじっと見つめてくれる。見つめながら危害を加えそうか否か判断しているようだ。ある時靴を干してふと見たらちょうど脱皮の最中であった。

  靴干して蜥蜴の脱皮見てゐたり    美智子

昼寝している場面にも出会ったことがある。南天の枝に凭れたまま手足を脱力させてリラックスした状態で眠っていた。近づいて写真を撮ったが起きることなく二時間ぐらいそのままの状態だった。

耳は目から少し離れたところにあるが、音には敏感で携帯が鳴ったら驚いて葉っぱから落ちたことがあった。

カナヘビは、今は冬眠中だが七年ほど生きて六月から七月にかけて産卵を繰り返すので小さい卵から赤ちゃんが孵るところを一度みたいものである。

  
出て遊ぶ蜥蜴に日蔭なかりけり    高浜虚子

 
 平成25年12月
 小鳥からのお年玉
 野島 秀子
  木の実は、周知のように鳥の胃袋を通り、糞りすると発芽しやすくなる。万両・黒鉄黐(くろがねもち)(やま)黄櫨(はぜ)など狭い庭なので見つけ次第くことしているが、中には抜きがたく思っているうちに庭木の一員になったものもある。

その一つが三葉通(みつばあ)(けび)赤褐色の花が見たくてそのままにしておいたら、「ジャックと豆の木」のようにどんどん生長し、お隣の垣根まで伸びて実をつけた。御陰で花も、実も、悪魔の落し子のような真っ黒でぶよぶよのアケビコノハの幼虫も見ることができた。

 (すい)(かずら)の場合は突然に冬咲クレマチスの柵に絡まり金銀の花を咲かせ驚かされた吸葛は冬咲クレマチスと同じように常緑なので発芽して何年も経っているのに気付かなかったと思われる。吸葛のほのかな香りは、良く歩きに出かけた山里の初夏の風を思い起こさせてくれた。今では、糞りによる発芽は、私にとって嬉しい小鳥からのお年玉といえる。

 木の実が減るこれからの時期、蜜柑の輪切りを梅の枝に挿し、小さな蹲踞に水を満たして、小鳥のお持て成しに努めている。自然を奪った人間のささやかなお返しとして。

  笹鳴きや小藪めきたる我が小庭      秀子

 
 平成25年11月
蜻蛉狩り
 利行 小波
  残暑の厳しかった今年、少し涼しくなった途端に蜻蛉が低く舞い始めた。
 ある夕方、池の土手での父と子の会話です。

父「そんなに捕ると、蜻蛉がいなくなるよ!」
子「全員は捕らないよ~。」
父「また、明日も(トンボ)いるかなあ!」

 虫籠には、すでに数匹の蜻蛉が入っているのに、まだ捕ってくれ・・・と父親にせがんでいる幼い兄弟が目にとまりました。
 蜻蛉のことを、「全員」と言っているところが微笑ましく、つい私も立ち止ってしまった。
 西の空はすでに茜色に染まり、父親は虫取りの網を握り必死で頭上の蜻蛉を追っています。
 蜻蛉は、子供たちにとっては、空に遊ぶ一番身近な生き物であり、友達でもあるのだろう。
 田舎育ちの私は「蜻蛉狩り」ではなく、川辺にその群れを見ると、遊びをあきらめて、慌てて家路についたものでした。蜻蛉の羽がキラキラと夕日に透け始めた頃だった様な気がします。
 もう、遠い昔のことです。

  とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな   中村汀女

 ふと、この句を思い出しました。そして、一世紀近い前に今と同じようにこの大地の上に飛び交う蜻蛉の群れの前に佇んだ俳人に思いを馳せた。
  この様な何気ない日常の一コマの中ではあったが、自然と人との永遠の繋がりを思い、これから先もずっと、子供たちにこの自然環境を繋いでいかねばならないと改めて感じた時でした。

 あの籠の中の蜻蛉は、家に持ち帰ってどうするのだろうか・・・と思いながら、この父子の会話を爽やかに耳に残したまま私も帰途についた。 

  とんぼうを追ひて日ぐれを忘れけり   利行小波 

 
 平成25年10月
 「ああ現かな」不法投棄
 松原 和嗣
  
 内々神社は、日本武尊が東征の帰路、内津の坂で、副将軍の建稲種命が駿河湾で水死したとの報告受け、「ああ現哉(うつつかな)」と悲泣し、その霊を祀ったのが始まりとされ、社殿は名工立川一族により造られ、庭園は夢窓国師作と云われる。神社脇には「すみれ塚」もあり、それにちなんで、也有書の芭蕉句碑がある。

  山路来て何やらゆかしすみれ草  芭蕉

 また横井也有句碑も多く並んでいる。
 横井也有翁の著書「鶉衣」の中の「内津草」には、内々神社裏の天狗岩を詠んだ 

   這ひのぼる蔦もなやむや天狗岩  也有

また奥の院巌屋神社付近を詠んだ 

   杉深しかたじけなさに袖の露   也有

などがある。      

私は平成20年12月に、紅葉盛の内々神社奥の院巌屋神社を散策した。
 内々神社の歴史・庭園と紅葉を満喫し、奥の院に向かう途中、じぇじぇじぇ!冷蔵庫・ソファー等の不法投棄(リンク先下段)。自然環境は、時代の変遷と共に変化していくのは仕方ない。人類がそれを求めているのなら。しかし、不法投棄はエゴでしょ。この様なエゴで環境が汚染されることは許されてはならない。平成25年夏、現場の不法投棄物は片づけられていたが、以前と同じ警告看板。現在は、不法投棄監視カメラが備え付けられていると聞くが。モラルを守り、環境を守ろう。

 
 平成25年9月
 熊澤 和代
  毎年旅先で見かけたり、人に誘われて見に行ったりしていた蛍を、今年はとうとう一度も見ることなく過ごした。私が子供の頃は家の庭まで飛んで来るほどで、少し離れた川の辺りまで行けばまさに乱舞状態、竹箒や笹竹を一振りするだけで何匹もの蛍を捕えることが出来た。それを蚊帳の中に放ち、ゆらゆらと飛び交う光を眺めながら眠りに落ちたことを時々懐かしく思い出す。
 源氏蛍の寿命は成虫で一週間ほどで、雌の方が産卵の為にやや長い。その短い命をひたすら恋の成就のために明滅を繰り返すその健気さが愛おしい。面白いのは西日本と東日本でゲンジボタルの発光周期の時間に差があること。西は二秒間隔、東は四秒間隔であるとか、西の蛍は東よりせっかちらしい。

  螢火の明滅滅の深かりき   細見綾子

 十年ほど前、富士を映す湖の畔を散策中、胸に飛んで来た蛍を手に這わせながら、五十年以上生きてきて初めて実物を見たと言う友人の言葉に驚いたが、「だって私都会育ちだから」と言う彼女に、成程、その時季に出かけなければ一生見ること無く終わる事もあるのだと、妙に納得した事を思い出した。来年は是非とも蛍を見に行こうと思う。 この頃は農薬の使用も減り、心ある人達の努力によって蛍の生息する環境も戻りつつあると聞く。又、身近な所で蛍の乱舞する様を見てみたいものである。

  螢飛ぶ闇の底なる千枚田     栗田やすし

 
 平成25年8月
 「狸の墓」見聞
 野島 秀子
 
   道の辺に狸の墓や鼓草    律子
   子狐の墓てふ石や草青む   和子

今年の春、『伊吹嶺』のお二人が詠まれた「狸の墓」の俳句に惹かれ、その墓を見てみたいと思った。お二人は「日進自然観察会」の会員で、今年のテーマである「川辺の自然」を観察中、狸の墓に出合われたのだという。

早速、場所をお聞きし「狸の墓」なるものを見に出かけた。墓は、高速道路の高い橋脚の基にあり、教えられなければ見逃してしまいそうな小さな石が、目印のように立てられているだけのものであった。車に撥ねられた狸を哀れに思った通りすがりの人が供養されたのだという。

名古屋市近郊のこの辺り、高速道路ができる前までは、東山丘陵の只中にあり、たびたび狸や狐を見受けたという。今も、僅かに残された雑木山には、狸や狐が身の縮む思いで暮らしているのだ。現に、我が家の近くに再生された里山でも狐が子育て中で、一部を立ち入り禁止にし、「静かに見守っていきましょう」と呼びかけている。野生の生き物とどのように付き合って行けるのか、環境の変化の著しい我が町、日進の小さな試みを見守っていきたい。

 
 平成25年7月
 ほととぎす
  国枝 隆生
  
 ほととぎすは古来、日本文学で多く扱われ、親しまれてきた。既に万葉集では156首も詠まれている。また枕草子ではほととぎすの初音を人より早く聞こうと夜を徹して待つ様が描かれているなど日本人に愛されてきた。
 我が家では自然を求めて、10数年前に現在の鈴鹿山麓に引っ越してきた。引っ越し直後は夏になると、遠くの森からよくほととぎすの声が聞こえたものである。
 その頃、サラリーマン生活を辞めて個人でISO審査員に転身して、朝寝坊してもよい身分になったが、それまでのサラリーマン生活の名残で朝早く目が覚めたものである。次の句はそういう時期の1句である。

  職退きて早き目覚めやほととぎす    隆生

 ほととぎすはカッコウと同様に食性は肉食性で特に毛虫などを好んで食べる。そのためには自然であっても里山であっても森、下草、花をつける樹木などがほととぎすの生態系には必要である。
 ところが近年、急速にほととぎすの声が聞こえなくなってしまった。原因は人間の無計画な開発である。
 例えば丁度急速にほととぎすの声が聞こえなくなった3年前頃。私の町ではハイブリッド・テクノ・パークなどという名の立派な多目的工業団地を開発したが、いまだに1企業たりとも企業は進出せず、地肌が延々と広がっている荒地ばかりになった。
 本来生物多様性を考えた生態系を維持しながらの開発も可能であり、現に国交省では、公共工事品質確保法により、創意工夫、技術改良などの視点の設計を行えば、入札評価点が上がるしくみになっている。ここに環境改善の視点で設計することも可能であり、そういう観点から受注できた企業も知っている。

   ほととぎす一所にて何度も啼く    細見綾子
   ほととぎすつぎの一と声待ちてをり    〃
   ほととぎす一つところで幾たびも     〃

 綾子先生の「ほととぎす」の句が好きな私にとって、ほととぎすの声をもう聴くこともできなくなると、何のための田舎生活を選んだのかと思うと悲しくなる。


 平成25年6月            
 「環境と俳句」を開設するにあたって
 国枝 隆生


 環境問題は私達の日常生活に影響を与えるだけでなく、俳人にとっても大きな影響、あるいは恩恵を受けている。日本の豊かな四季のおかげで、俳句の材料である季語に事欠かない。春の桜、夏の高山植物、秋の紅葉、冬の雪などどれをとっても豊富な日本の四季に大いに感謝したい。
 しかし近年、気候変動の悪化、生態系の破壊など、環境問題が顕在化してきている。このような環境変化にあって、「伊吹嶺」としても自然観察会などにより、少しでも環境問題に関心を持って頂くため、昨年度より「自然と親しむ吟行会」として、二回ほど自然と触れ合う機会を設けた。結果として、多くの皆さんに興味を持って頂き、自然を知るという実りを得た。

以後、栗田主宰より、「環境問題はインターネット部として取り組んでみたら。」とのお薦めもあり、「伊吹嶺」誌ではこのページ、伊吹嶺HPでは「環境コーナー」を開設して皆さんの発言の場を作らせて頂いた。
 当面、「伊吹嶺」誌では隔月に掲載し、HPでも毎月情報発信していきたい。今後とも伊吹嶺同人、会員のご協力を得て、進めていきたいと思っている。
 なお今回は総論として書かせて頂いたが、今後は各論を皆さんで書いて頂く予定です。

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