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2019年2月号 俳日和(13)
 
  俳句と民芸

                              河原地英武

 最近、柳宗悦(1889~1961)への関心を強めている。年末には初読の本にしようと『柳宗悦 民藝紀行』(岩波文庫)も買ってきた。

 学生時代にも彼のことは教科書で習ったし、いくつかの文章を読んだ記憶もある。しかし自分にはさほど縁のある思想家だとは感じていなかった。それが俳句をやるようになって、あちこち吟行に出かけると、よくその名前に行きあたるのである。たとえば瀬戸の窯場を歩いたときも、昨年11月に日田の小鹿田焼の里を訪ねた折にも、宗悦のことを記したパネルを目にした。

 人物事典の記すところによれば、彼は早くから朝鮮李朝期の陶磁器に魅了され、たびたび朝鮮へ赴き、大正13年にはソウルに朝鮮民族美術館を創設した。日本政府の朝鮮に対する抑圧政策を厳しく批判する反骨の言論人でもあった。大正14年ころから「民芸」という言葉を用い、名もなき工人が日々作っている日用雑器に価値を見出し、「民芸運動」の先頭に立って日本全国の窯場を歩いては、郷土色豊かな工芸品に見られる「用の美」を称え、広く紹介したのである。

 わたしには俳句が宗悦の言う民芸に似ているように思われる。俳句もまた生活の場から生まれる詩である。数百万を数える俳句実作者たちの大部分は、総合月刊誌に名を連ねる専門俳人ではないし、俳壇的にはほとんど無名だろう。だが、その無名の俳句作家が作る作品は、それぞれに価値がある。名工の生み出す珠玉の作だって少なくない。

 そう考えると、俳句結社は各地にある窯場のようなものかもしれない。そのなかで伊吹嶺が、全国に名を馳せる一大工房になることができたらすばらしい。そんなことを思いながら、2019年も伊吹嶺の仲間と切磋琢磨してゆきたい。