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 俳日和 (2018年2月号より)
 
 昨年の伊吹嶺組織整備により、これまでの「伊吹山房雑記」に変わり、新しく河原地主宰の巻頭エッセィ「俳日和」が2018年2月号より始まりました。
 これまでの栗田前主宰の「伊吹山房雑記」とともにお読み頂ければ幸いです。
 なおこれまでの「伊吹山房雑記」については、下の「過去の伊吹山房雑記へ」とクリックして下さい。
 (なお現在トップページから入るボタンは「伊吹山房雑記」のままです。近日中に「俳日和」に変更したいと思います。それまではご不便をおかけしますが、よろしくお願いいたします。)

                       インターネット部長 新井酔雪

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2018年2月号 (俳日和 一)
 

 忙中俳あり

                              河原地英武

 昨年来の仕事を抱え込んだまま年を越し、ぼやぼやしているうちに七日が過ぎてしまった。「えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始おさえつけていた。焦燥といおうか、嫌悪といおうか」――梶井基次郎の『檸檬』の書き出しが脳裏を横切る。

何より胸を圧迫するのが、締切の過ぎた論文原稿。「年末には仕上げますから」と出版社の担当に連絡したところ、「年明けの五日まで社が休みですから、それまでに送ってくれたら結構です」と言われ、これで気を抜いたのがいけなかった。再び催促のメールに肝を冷やしている始末。いままでこんな年末年始を何度繰り返してきたことだろう。

 手つかずの仕事をまえに、悶々としているのがいちばんよくない。立ち枯れする草木のように心は青ざめ、気力が萎えてゆく。これは精神衛生上、はなはだ有害である。

わたしは過去にもたびたびそうしたように、机上に広げたものはそのままにして、「よし、ともかく外に出よう。これから俳句を二十句作るのだ。二十句できるまで絶対に戻らないぞ」と独りで決めて、家を出たのであった。

 道々、気づいたことはどんどん句帳に書き留める。葉を落とした街路樹は瘤だらけだとか、電柱と枯木が交互に立ち並んでいるとか、河原で女の子がボールを蹴っているとか、犬が水鳥の群れに吠えかかったとか、鴨がよたよた土手を登り出したとか、そんなとりとめのないことを五七五にしていると気分は次第に高まり、二時間ばかりで二十句できた。そのうち残せるのは一つか二つだろう。だが、心のもやもやが晴れたのだから満足だった。

 よく句友には「忙しいでしょう」と言われる。たしかに忙しい。だから「忙中俳あり」である。感興がわくのを待っていては、なかなか句はできない。しかし俳句を作ろうと決意すれば、感興はわいてくるものだ。思い立ったら「俳日和」。それをモットーにしたい。