TOPページへ戻る 購読について
TOPページへ戻る


2017年5月号 (227)
 

  根なし雲                   栗田 やすし

 春寒し水田の上の根なし雲       碧梧桐
 この句は、季語の「春寒し」が春が立ってからの寒さという意であることを考えれば、
「春とは名ばかりで寒いことだ。一面に見渡される水田にちぎれ雲が映って根なし草のように流れただよっていることよ」といった意味の句であるが、私はこの句を碧梧桐の生涯を別にしても、水田に浮かぶちぎれ雲を「根なし雲」と表現したところに碧梧桐の哀感が色濃く投影されており、季語「春寒し」の情感がよく生きて働いている句と鑑賞している。
 ところが、前にも触れたが山口青邨は「白い雲が水田にも映って、なお明るさをましている。寒いけれども春らしい感じがただよっている」と評して、明るく春らしい感じの句としている。
 広辞苑に「根なし草」はあっても「根なし雲」はない。「根なし雲」は碧梧桐が「根なし草」から連想して生んだ言葉で、これに哀感の情をこめたのである。
 手元にある『ハワイ歳時記』(1970・9・10 博文堂)に「根なし雲」が春の季語で、解説に「早春の頃の雲のたたずまい」とあり、例句として、
  さすらいの旅路果てなし根なし雲
  侘びしさの身にしむ日なり根なし雲

などの句が挙げられているのを知った。まさに「根なし雲」に「さすらい」「侘びしさ」と言った哀感をイメージさせる季語として用いているのである。こうしてみると、「根なし雲」から「白い雲」をイメージして明るさと軽快さを感じると鑑賞するのはやはり無理があると言えよう。