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いぶきネット句会たより

 
いぶきネット句会の会員がいぶきネット句会について書いたものです。ぜひお読みになって、興味を持たれた方はいぶきネット句会の仲間になりましょう。初心者大歓迎です。

 なおこのページは最新の年を掲載しています。過去の「いぶきネットたより」は次の該当年をクリックして下さい。

 いぶきネット句会たより(2017年~2018年)

 いぶきネット句会たより(2014年~2015年)

 いぶきネット句会たより(2009年~2013年)


白 鳥       鈴木 未草            2018年9月

 習字の先生に、「今回は〈文字で遊ぶ〉をテーマにして作品を作って下さい。」と言われた。さて、どうしようかと悩んだ。私は小さい頃から字が下手で、しょうもなく書道塾に通っている。上手な方は、それこそ跳ねるように、または流れるように筆を操られるだろう。私には無理だ。そこで、思いついたのが、〈鳥が飛んでいる形に文字を埋める〉というもの。書くのは牧水の有名な歌『白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

書いた作品を持っていくと、「下手に思い切り変な字で」という注文だった。あと、もう一羽居ると遠近感が出るということなので、『幾山河越へ去り行かば寂しさのたへなむ国ぞ今日も旅ゆく』でもう一羽作った。字も全体の形も、思い切り変だった。

さて、作品展初日会場を見渡すと、そんな作品は私だけ。他の方のは例年通り、美しく優雅な作品ばかりだった。でも私の気持ちに恥ずかしさはなく、なんだかすっきり晴れ晴れしたものだった。

 俳句でも同様かもしれない。美しい句を作りたい、あこがれの先生方のように上手な句が作りたいという思いがあっても、素養のない私には、なかなか道は険しい。苦肉の策で、どこかで見たような言葉を継ぎはぎした句にしかならない。恥ずかしく思う。しかし、下手なごつごつした句でも、自分の気持ちに寄り添った作品を作った時の方が気持ちは晴れやかだ。

先生方、相変わらず独りよがりの不器用な生徒ですが、よろしくご指導お願いします。


湖の風景     浜野 麦秋            2018年8月 

               
 
 ネット句会でも琵琶湖の情景を詠まれた句がしばしば見られます。吟行に来られたのだな、と思うと特別な関心が起こります。

湖岸の景色は、一度として同じということはありません。道路や家々、田圃や畑といった、風景の構成要素は変わらないのですが、木々の彩りや作物の生育状況など、当然ながら季節を追って変化していきます。

わけても、湖そのものが留まることなく表情を変えていきます。ザックリと表現すれば、春の柔らかな碧、夏の深いブルー、秋の穏やかな水色、冬の重たい鈍色。その日の天候、風の強弱にもより、白い波頭を見せたり、縮緬皺のようなさざ波であったり、鏡のような平らかさであったりと千変万化です。雪を被った連山に取り囲まれた冬晴れの湖も美しいですが、薄霧に包まれて天まで続いている幻想的な湖も捨てがたい風情があります。

以前にこの欄で「内湖のはなし」を書かせていただきましたが、一般的な説明と安土周辺の大中之湖や西之湖だけでした。今回は我が家から北上すると最も身近にある内湖、曽根沼とその周辺を紹介します。曽根沼は南側にある荒神山と一体となって整備され(琵琶湖国定公園に取り込まれ)、緑地公園となっています。

荒神山は標高二八四mの独立峰でこのあたり(旧愛知郡)で唯一の山です。少年自然の家、子供センター、体育館、球場もあり休日には賑わっていますが、この頃、どこから来たのか猪が繁殖して被害も出ているようです。山頂には荒神山神社が有り、中腹には三、四世紀のものと云われる古墳もあります。昨年近くで発掘された稲部遺跡と共にかなり大きな勢力の豪族の本拠地であったと推測されています。こうしたことから、本来、「高神山」であったのでは、との説もあります。

曽根沼緑地は、舗道が整備され、桜、椿などの植栽があり、遠足、ピクニックで賑わっていたのですが、子供の水死事故があってから訪れる人が少なくなってしまったようです。沼自体もブルーギルばかりが増えて釣り人は減ってしまいました。しかし、冬場には多くの鴨類を間近に見ることができます。春の岸辺から見上げる荒神山の山桜も見事なものです。

どうぞ、また吟行にいらして下さい。



愛知県立森林公園         川崎みちこ      2018年7月

 私の住む尾張旭市には尾張旭市北部と一部名古屋市守山区にまたがる八百万坪ほどの広い森林公園があります。

昭和八年愛知県議会で可決、翌年開園。昭和十三年の読売新聞には全国一の広さを持つ森林公園が三百万県民の理想郷として開園、厚生体力局技師田村博士を迎えて県知事が駕籠に乗って視察したとの記事があります。

この公園には運動公園として乗馬施設、テニスコート、弓道場、野球場など、一般公園としてボート池、児童遊園地、野外演舞場、里山広場などがあり、公園の面積のほぼ半分を有料(一回二百十円)の植物園が占めています。森歩き、野の花めぐり、自然ウォッチングなど種々のイベントも開催され県民の憩いの場となっています。

植物園には一般公園から入る正門と北門、南門があり、南門は我が家から一キロほどの場所にあるので休日の暇な時間に運動と気分転換と吟行を兼ねて入園しています。

南門から入るとすぐに貸農園があり、二坪ほどの区画に季節の花や野菜が植えられています。以前ナタマメが植えられていたことがあり、巾二センチから五センチ、長さ二〇センチから五〇センチ、その剣のような長いさやを興味深く眺めたものでした。

しばらく歩くといくつかの分かれ道となり左にゆくと湿原があって秋には一面にシラタマホシクサが可憐な花をつけ風に揺らいでいます。今の湿原にはモウセンゴケやコバノトンボソウ、カキランなどがみられます。

そこを過ぎるとふるさとの森で、全国各県の代表的な花木が植えられており、京都の北山杉、新潟の雪椿、愛知のハナノキなどいながらにして見ることが出来ます。森の中には縦横に小道があり郷土の森にゆけばナンバンギセルやウマノスズクサのような珍しい植物を見ることが出来ます。

ボランティアの人たちが雑草を取り除き、名札を付けて見やすいようにしてくれているので植物園のマップを見て歩けば容易に見つけることが出来ます。水生園には花ショウブ、半夏生、山アジサイが見ごろです。

中央の展示館には今植物園で見られる花の写真やその場所、この園に住む鳥や動物の写真やはく製が展示されています。植物園の北側の大きな池には羽を広げると二メートルにもなるオオワシの若鳥が二四日間滞在したとの記録と写真があり、ニホンカモシカやコハクチョウ、クマタカなども来たことがあったと記載されています。

春には梅、桜、つつじなどの花を、夏には緑の深い森の中でセミや小鳥の声を聴きながらの避暑、秋は様々な木々の紅葉、木の実の降るさまなどを、冬には雪景色、枯草、ハダカ木など季節の移り変わりを見られるのは楽しいことです。

こんな自然豊かな環境に住むことが出来てとても幸せなことですが、なかなか思うように句を作ることが出来ないのが悩みの種です。


 
芝不器男記念館を訪ねて    宇都宮えみ      2018年6月

 愛媛県北宇和郡松野町にある「芝不器男記念館」は、不器男の生家でもある。不器男は、明治三十六年四月十九日、父・来三郎、母・キチの五男として生まれた。

庄屋の面影を残す、木造二階建ての記念館には、一階の土間や座敷を中心に、不器男の俳句に関する資料や日記帳、直筆の短冊など、ゆかりの品々が展示されている。

代表作家として活躍した、俳誌『天の川』や、『ホトトギス』に始めて掲載され、高浜虚子が鑑賞した句「あなたなる夜雨の葛のあなたかな」に関する記述もあり、当時に思いを馳せる。

 芝家では、度々句座が開かれており、当時の句座の資料には、家族それぞれの俳号も載せられている。父・来三郎(号 蜻州) 兄・悌吉(号 王国洞) 兄嫁・梅子(号 楳子) 姉・妙(号 蘭香女) 兄・馨三(号 豺腸子)などを、興味深く拝見する。

 不器男は俳号ではなく、「不器男」の命名は、『論語』の「子曰、君子不器」(子曰く、君子は器ならず)によるものだと、記念館の担当者から説明を受ける。

昭和三年不器男は、太宰文江と結婚した。庭先で撮影された、紋付き袴の新郎と、引き振袖に角隠しの新婦の写真にも目を留める。

 昭和五年二月二十四日、不器男は病魔に侵され、永眠。享年二十六。

 松野町では、早世した俳人芝不器男をしのび、俳句大会が開催されている。六十四回目となる今年の大会では、愛媛大学の青木亮人氏の「芝不器男の余白と緩急の凄さ」と題した講演が行われた。

 その時の資料から、不器男の句のいくつかを紹介してみたい。

◆天才の余韻◆

永き日のにはとり柵を越えにけり

人入つて門のこりたる暮春かな

春の月砂絵の童らにさしそめぬ

◆表現の余白、緩急◆

ふるさとや石垣歯朶に春の月

昼ながら杉に月ある河鹿かな

寒鴉己が影の上におりたちぬ

◆余韻、緩急、余白◆

夕釣や蛇のひきゆく水脈あかり

 『天の川』で活躍し、『ホトトギス』でも注目された、句歴四年の不器男の俳句を、今でも新しいと感じるのは、私だけだろうか。

   あなたなる夜雨の葛のあなたかな 

不器男

『ホトトギス』に初めて掲載され、「この句は作者が仙台にはるばる着いて、その道途を顧み、あなたなる、まず白河あたりであろうか、そこで眺めた夜雨の中の葛を心に浮かべ、さらにそのあなたに故国伊予を思う、あたかも絵巻物の表現をとったのである。」と高浜虚子の名鑑賞で、一躍有名になった。



井手の里        森田 もきち               2018年5月

 京都の桜の穴場を探していると、JR奈良線奈良駅の五つ手前の玉水駅を下り、井手の里を一望できる高台にある地蔵禅院の絢爛な枝垂れ桜が眼に留まりました。京都府の天然記念物に指定されており、京都円山公園の枝垂れ桜の兄弟木に当たるとのことです。崖の上に鐘楼があり、そこから枝垂れ桜が下方に崖に沿い枝を広げていました

  鐘の鳴る崖よりしだれ桜かな   もきち

 井手の里は、奈良時代万葉集の撰者の一人であった左大臣橘諸兄が治め別荘のあった地で、井手の里を愛した橘諸兄は玉川の堤に美しい山吹を植えました。また古来より蛙の名所として知られ、井手を詠んだ和歌の中でも蛙に関するものは八十三首に及び、鴨長明の無名抄にも記されています。このように井手の里は古来ヤマブキとカワズの名所として知られ、歌枕として多くの和歌に詠まれました。

 里を流れる井手の玉川は、木津川の支流で両側の桜は桜の名所として知られ、古来多くの歌に詠まれた日本六玉川の一つとも言われています。堤には三々五々歌碑が立ち、詠み人としては紀貫之、後鳥羽院、藤原俊成、定家など、源実朝の名前もありました。因みに八王子が故郷の私も、小学校時代遊んだ多摩川が調布(砧)の玉川として六玉川の一つだということを初めて知りました。

  花の雲井手玉川の歌碑巡り    もきち


古典を読む   長谷川妙好              2018年4月

 子育て中に友人達と古典を読み始めて四十年近くになる。最初は子供の教育に役立つかもと思い遠山啓先生の水道方式の本などを読み始めたが、そのうち古典を読もうと言うことになった。大学時代に源氏物語を読み通さなかった悔いが残っていたからである。

 一か月に一度集まって、子供が幼稚園に行っている間に源氏物語を読み進めた。子供の発熱、友の転勤等なかなか進まなかった。結局十年以上かかって五十四帖をやっと読み終えた。まだまだ読みきったという気がしなかったので二回目に挑戦した。二回り読み通すのにゆうに二十年以上はかかったと思う。

 そのころにはすでに子供の手は離れていたが親の介護等新たな問題が出てきた。それでも枕草子、徒然草、方丈記と読み進めた。今は平家物語に挑戦している。

現在は新たな問題として互いの病気、不調、連れ合いの病気等出てきたが何とか細々と続けている。古典に触れ続けたこともさることながら、四十年近い友との信頼関係はなにものにも代え難い宝物となっている。

 昨年からそれまで全く興味のなかった俳句を晩学の身で始めた。ネット検索をしていぶきネット句会に入れていただいた。古典を読み続けてきたからといって歴史的仮名遣いや古文法が出来ているわけじゃない。毎回投句するたび冷や汗の連続である。毎回丁寧に添削していただいて本当に感謝している。

 平家物語を読んでいると、十三世紀のあのころも二十一世紀の今も人は争い、結局賢くなっていないなと痛感する。


 

 俳句と私     野上千俊           2018年3月

 私が俳句に興味を感じたのは五十年以上も昔で高校二年の時でした。古文担当の教師から芭蕉の「荒海や」の句や蕪村の「菜の花や」の句を例に「わずか十七の文字で大宇宙を描写している、これは究極の芸術だ。」と聞いた時です。

 両俳人の句に関心を持ったもののこの時点では自ら句を詠む気はありませんでした。ところが大学二年の冬に事情が変わりました。

 うっすらと雪が残る朝にのろのろと街を走る車を眺めていると突然「雪景色初めて通る乳母車」が頭に浮かび、この句を面白半分で毎日新聞に投句したところ掲載されました。  これに意を強くして作句に挑みましたが一向に句ができずいつしか俳句への関心も消えてしまいました。

 次に句を詠もうと思ったのは三年前で、何かゴルフ以外の趣味をと考えた結果でした。詠むには勉強が必要と思いNHK学園の俳句通信講座を受講しました。半年間基本を学んだ後、一年弱入門コースで投句の添削指導を受けました。しかし、ゴルフ中に右手首を骨折し文字が書けなくなり、学園にインターネットでの投句を相談するも無理と分かり、やむなく受講継続を断念しました。この講座において添削していただいた句の中で「母逝きし日に木犀のはらはらと」が気に入っています。

 右手首の事情からネットでの投句・添削が可能なところを探しました。そんな時伊吹嶺のホームページを見て直ちに加入をお願いしました。今月で入会後一年が経過しますが、この間添削を通して丁寧に指導していただき感謝の連続です。添削いただいた句で一番の気に入りは「夕映えを過ぎる白鷺朱に染まる」です。竜田川を飛び立った白鷺が夕日を浴び赤く輝いていた光景が思い出されます。

 これからも何とか頑張って投句を続けますので添削をよろしくお願いいたします。




春の月     川崎みちこ    2018年1月

 まだ新芽の伸び始めていない早春の夕暮れ、裏道を車で走って帰るととても大きな月を見ることがあります。薄いクリーム色の大きな月が目前の藪の中から昇ってくるのを見ると手を伸ばせば触れることが出来そうな気がしてきます。多分浅い靄がかかっていてそれがレンズの役目をして大きく見えるのだろうと思います。

  外にも出よ触るるばかりに春の月 中村汀女 

この句はこのような月を見たときのものなのでしょう。

 夏の星

 若いころ燕岳に登った時、山腹の山小屋で満点の星空は圧巻でした。山小屋の屋根と周りの木々に囲まれた狭い空に大粒の星がぎっしりと詰まっていてうす赤色、ほの白いもの、青白く光るものなどさまざまな光を放って輝いているのです。屋根の上に登って手を伸ばしたら大きな星がつかめそうな気がしました。

 秋の雲

 秋の良く晴れた日に山の中腹あたりを歩いていて、少し疲れて山小屋の縁先に腰かけて見上げる空、真っ青な空に白い雲がゆっくりとうごいて、目の前の色づき始めた木々の上をかすめるように行くとき、その雲に手が届くほどに感じるときです。こんな雲を見ていると心地よい幸せに包まれてゆくような気がします。

 山小屋は手の届くほど鰯雲   川崎みちこ

 砂漠の星

 初日の出を見ようと真っ暗な砂漠の中に案内された時のこと、朝の日が昇る前のひとときを大きな満点の星空を見上げるとき、計り知れない神秘に包まれているような気持になります。空に透明な大巨大なお椀のようなものが被さっていて、そこに無数の小さな星が巨大な半円を描いて隙間がないほどに輝いているのです。地球が丸いということを実感するひと時です。

 宇宙はこんなにも広くあまたの星があって地球はそれらに包まれているのだということ、この感動をどのように表現したら的確なのか、言葉が見当たりません。

 以上、私の数少ない経験の中から取り留めのないことを書かせていただきました。読んでいただけたら幸いです。


思わぬ発見     安藤一紀    2018年1月

吟行予想だにしなかった「思わぬ発見」をする。それが実に面白く、タイミングよく言葉を見つけ俳句となって選を受けることもある。
十二月最初の吟行をネット仲間と行うことができた。その時の思わぬ発見を羅列してこの吟行を紹介します。その日は、名古屋市中心部の「鶴舞公園」から東隣りの「名古屋工業大学」「郡道」の四人の吟行。キーワードは十二月、公園、大学構内、旧街道。公園の名称は「つるま」となっているが、「つるまい」と呼ぶ人も多いとか。開設以来110年の歴史を持ち、戦後に進駐軍の接収にあった暗い時期を除き、緑豊かな憩いの場、スポーツやレクリエーションの場所として、広く市民に親しまれ俳句にも詠われてきた。吟行の集合場所が鶴舞公園の図書館であったので、温かい図書館で一、二句作ることを目論んで定刻一時間前に到着する。ところが、図書館は休館日。時雨雲の下、兎にも角にも一句と玄関前に佇んで付近を見渡す。すると、今まで気が付かなかった目前の茂みに等身大の老人座像が目に止る。風化が進んで側面の解説が読み辛いが、目元が優しく凛凛しいお顔で無性に親しみを感じる。石像は、日本で最初の理学博士伊藤圭介で名古屋市が誇る偉大な人物だったことが解る。

落葉積む翁坐像の膝の上    和嗣

園内には有形文化財も多く、その一つ「普選記念壇」が図書館の直ぐ傍にある。日当たりのよい階段状の野外劇場で、普段は将棋愛好家が駒を持ち寄って「少年の秘密基地的特別な場所」となっていた。吟行に来て見ると、将棋指しの姿は無く、麻雀に興ずる高齢者が囲む三卓と、後ろで黙って観戦する同年輩ばかりで「唖然」とする。

翁らの野外麻雀冬うらら  一紀

公園の片隅にひっそりと建つ像のない異様な台座(構造物)がある。説明書きにより、名古屋出身の内閣総理大臣加藤高明の銅像があったが、供出され台座だけが残ったものだと解る。

供出の像無き台座冷まじき   一紀

台座の場所からボート遊びの出来る竜ケ池が見える。近づくと周辺で巷で話題の「ポケモンGO」により、訪れた大勢の異様な行列に出くわし、「どっきり」。公園散策を譲り、大学構内、郡道へと吟行場所を移した。 


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