トップページへ戻る
トップページへ戻る 見たい項目をクリックしてください。 伊吹嶺TOPICSへ 伊吹嶺NEWSへ
「伊吹嶺」沖縄吟遊の旅
 
平成20年11月24日(水)-26日(金)
 
 11月26日(水)〜28日(金)に「伊吹嶺」行事として、「主宰と行く沖縄吟遊の旅」がありました。総勢45名と沖縄の句友2名が加わり、楽しい吟遊の旅が行われました。私は参加できませんでしたが、インターネット部から参加した数名から、メッセージを頂きました。
 当初予定していた坪野洋子さんが3日間の総日程を書いていただき、あとの方にそれぞれ短文で感想を頂きました。以下参加者のメッセージと楽しい写真を楽しんでください。(隆生)



    三日間の思い出    坪野洋子

11月26日、27日、28日「主宰と行く沖縄吟遊の旅」総勢45名が参加させていただきました。
沖縄在住の砂川さん、陳さんが出迎えてくださった沖縄はあいにくの曇天でしたが、皆の心は快晴。
26日、まずは沢木欣一先生の「夕月夜みやらび(乙女)の歯の波寄する」の句碑が建つ辺戸岬へ。名古屋より用意していった新酒「ねのひ」をお酒が好きだったと言う先生に手向け、師を偲びました。
冬の波音高い辺戸岬は苦菜の花が咲き名残の虫が鳴いていました。
続いて沖縄の誇る伝統工芸芭蕉布の里、喜如嘉(きじょか)の芭蕉布会館へ。人間国宝の平良敏子さんが案内説明をしてくださり、芭蕉の皮を竹ばさみで削ぎ繊維を取り出す作業「苧引き」(うーびき)を見せていただきました。あの糸芭蕉の皮かが美しい糸に変身する技に感動し、いくつもの工程を経て美しい芭蕉布になる工程を聞き先人の知恵に脱帽。「琉球藍には泡盛と水あめを飲ませる」と言うお話には興味津々。芭蕉布の里には落鷹が鳴いておりました。
26日の主宰の特選句は谷口千賀子さんの「甘蔗しぐれ師の句碑へ酒注ぎ合ふ」でした。

27日は沖縄の焼き物の里(やちむんの里)からです。名も知らない鳥たちの声が降る木立の窯場道を赤瓦屋根の五連房登り窯で三々五々の吟行。11月の沖縄は赤とんぼや飛蝗、そして月桃の実など秋の季語がいっぱいで皆を悩ませます。

午後は世界遺産の「斎場御嶽」(せいふぁーうたき)。琉球創世の神アマミキヨが降り立ったと言う聖地です。神の業としか思えない、そそり立つ大巌にがじゅまるの気根が幾筋にもなって絡む様に息を呑みました。鍾乳石だと言う大巌からは聖水が雫となって滴り落ち聖水壷が一杯になる年は豊作になるとか。虹色の黄金虫が葉っぱにびっしりと止まっている様は将に亜熱帯そのものである。

そして受水走水(うきんじゅはいんじゅ)。稲作発祥の地とか。二期作も終った御穂田(みふうだ)には冬だと言うのに蜷が道がいっぱい。神の使いなのか赤腹の井守も這い出てきました。沖縄はいま砂糖黍の花盛り。薄紫の花穂が其処此処に靡いていました。

最後の28日は南部の戦跡巡りです。ひめゆりの塔、海軍指令壕、そして摩文仁の平和祈念公園。想像を絶する惨状を見聞きしてより言葉を失い無口になるばかりでした。その日の太平洋は冬日にまみれて穏やかに凪いでおりました。

 最後はエネルギッシュな牧志の公設市場。色鮮やかな魚や豚の頭、豚足など所狭しと並ぶ様に圧倒されどおしでした。

 悲しい歴史を乗り越えて来たうちなんちゅうの明るい笑顔、お持て成しの温かさ、そして口癖のように「なんくるないさー」(なんとかなるさ)と言う言葉に生きる指針を教えられた旅でした。
二日目の主宰の特選句は、 
倉田信子さんの「花甘蔗にニライカナイの風渡る」でした。 


辺戸岬の欣一句碑   陳 宝来

 今回、吟遊の最初の目的地は、辺戸岬に建立された「欣一句碑」とまみえることでした。「伊吹嶺」が「風」の理念を基本に据え、継承していることがよく認識できた。斎場(せーふぁ)御嶽(うたき)(うきん)水走(じゅはいん)(じゅ)(稲の発祥地)を訪ねて、いにしえの琉球に想いを馳せることができた。摩文仁の丘とひめゆりの塔への訪問は、戦争の悲惨さと平和の尊さを実感したまた、喜如嘉の芭蕉布、首里紅型工房、やちむんの焼き物などなど。沖縄の伝統工芸の美を鑑賞するコースは、参加者の沖縄への認識が深まったと思う。全コースの中で、私が唯一残念に思ったのが、料亭那覇の琉球料理でした。
 最後に、参加者が満ち足りた様子でお帰りになったことに御礼申しあげます。


  沢木先生の句碑に新酒を   砂川紀子

 皆様をお迎えした那覇の空は生憎の曇天でしたが、皆、晴れ晴れとした笑顔で到着口から出て来られました。大会でお目にかかった方も大勢いらしてとてもなつかしく思いました。
 途中、名護で昼食を取り一路バスは辺戸岬へと向かいましたが、沖縄らしい空や海を見て頂けず本当に残念でした。
 辺戸岬では沢木先生の句碑に先生がお好きだったという日本酒を注ぎ、皆で碑に触れ合い、日本酒を口に含み「甘いね。」と言い合いながら先生をなつかしんでいる様子がとても心に残っています。きっと沢木先生もお喜びになった事だと思います。先生はお亡くなりになっても「伊吹嶺」の皆様の中心に沢木先生がおられるのだと改めて思わされた瞬間でした。


極楽色に輝いた三日間    河原地英武

生まれて初めて沖縄に行ってきました。しかも本島の北の端から南の端までを縦断するという何とも贅沢な経験をしてきました。
11月も末だというのに、至るところに未知の花々が咲き乱れ、樹木は青々として、夏の虫も秋の虫も元気よく飛び跳ねていました。辺戸岬のみやらび句碑から始まり、芭蕉布の里、読谷村のやちむん(焼き物)の里、霊場である斎場御嶽、受水走水、守礼門等等ただ圧倒されるばかりでした。海軍指令壕やひめゆりの塔の衝撃も忘れることができません。俳句仲間とともに過したこの三日間は、いまも極楽色に輝いています。


   芭蕉布の平良敏子さん  中野一灯

沖縄吟遊は盛沢山でどの一箇所にも一日は割きたい位でしたが私は芭蕉布、紅型の工房、特に芭蕉布の人間国宝平良敏子さんに深い感銘を受けました。芭蕉布、紅型の再評価には柳宗悦の民芸運動が大きな影響を及ぼした。芸術至上主義の流れの対立軸として「生活の美」、「用の美」を提唱した柳は沖縄では紅型と芭蕉布を再発掘した。この柳の着眼は時代が下って沢木欣一師の俳句における風土性の追及と軸を一にしていて師の沖縄吟遊集に結集されている。
 ひめゆりの学徒たちの悲劇に先立ち芭蕉布の人間国宝平良敏子さんは紡績挺身隊として本土に渡り倉敷紡績で勤労奉仕に明け暮れた。幸いそこで民芸運動家木村吉之助の指導を受け倉敷紡績の創業者大原総一郎の激励によって芭蕉布を後世に伝えるという強い使命感を持って戦後の沖縄に帰った。十代の少女だった平良さんは今年八十四歳、矍鑠として芭蕉布の継承指導にあたり、その革新に余念がない。小柄で物静かな、謙虚な語り口、誠実さにはその作品とともに句友一同深い感銘を受け辺戸岬における佳句が生まれることとなりました。  


心に残る沖縄の旅    鈴木 みすず

待ちに待った沖縄吟遊の旅、あいにくの曇天続きでしたが、それでも沖縄の魅力は尽きないものがありました。大自然の美しさ、そして辛く重い歴史を潜り抜けてきた沖縄の方々の明るさ、のびやかさにも、心を打たれました。
 私がこの旅で印象深かったのは、辺戸岬のみやらび句碑と、旧海軍司令部壕でした。句碑では、栗田先生ご夫妻や先輩たちの万感籠る思いのお顔を拝見して、欣一先生の俳句が脈々と受け継がれてきたことを想い、お会いすることの出来なかった欣一先生を、本当に身近に感じることが出来たことを、とても嬉しく思いました。
 また旧海軍司令部壕では、迷路のようなその地下壕の広さに驚き、そこに残された戦争の悲惨な現実に胸がいっぱいになりました。四千人が手榴弾で自決したという、弾痕の飛び散った壁、兵士たちが立ったまま眠ったという狭い穴、住民だけでなく、兵士たちも凄惨な犠牲を払わされたのだと知りました。壕を出て目にした、沖縄の海がきらきらと眩しかったこと、南国の赤い花が目に沁みるほど美しかったことを、今でも思い出します。沖縄戦では20万人が亡くなられたと聞きます。戦争を二度と起こしてはならないと強く思わされた旅でした。
 今回の旅を企画して下さった栗田先生ご夫妻、いろいろお手伝い下さった堀さんや先輩の方々、そして温かく迎えてくださった砂川紀子さん、陳宝来さんに心より御礼申し上げます。





守礼門の前で

みやらび句碑を囲んで

句碑に新酒をかけたり、撫でたり

「夕月夜みやらびの歯の波寄する」

芭蕉布の説明を聞く

御穂田で見ているの何?

他の人も熱心に見る

斎場御嶽の気根

爺婆と踊る宴や花梯梧」

バスの中まで島踊り

こんな楽しそうな旅だったら、行きたかった

やちむんの里の井

壺屋から移った登り窯

ひめゆりの塔を見ているのか?

平和祈念公園

平和祈念公園の人間魚雷

公設市場で買い物より、俳句
 << トップページへ戻る
copyright(c)2003-2007 IBUKINE All Right Reserved.