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栗田やすし主宰第四句集『海光』出版祝賀会
 
平成21年6月19日(金)
 
 6月19日愛知同人句会後、栗田主宰の『海光』出版祝賀会が行われた。インターネット仲間に当日の感想を聞いたところ、数人からお便りが届きました。せっかくの機会ですので、この欄をお借りして皆さんの感想を掲載させていただきます。この落書を読んで私も感想を述べたいという方がいらっしゃいましたら、【こちら】まで感想をお寄せ下さい。どんな感想でも結構です。どしどしお寄せ下さい。合わせて当日の祝賀会模様の写真も載せました。(隆生)


 主宰の第四句集「海光」の出版お祝いの会に参加させていただきました。私の心に強く残りましたのは、主宰と先輩の方々の、しみじみと心温まる、そして感慨深いご挨拶でした。「風」愛知支部の発足の時代より「伊吹嶺」を牽引していただいている栗田先生と、長年「伊吹嶺」を支え、盛り上げて来られましたた先輩方のご挨拶に、私は素晴らしい先生や諸先輩の皆様方に出合えた幸運を実感いたしました。 会の中で、句集の中の一句へ寄せる感想として最も多かったのは「滝凍てて全山音を失へり」に対しての賛辞でしたが、次に多かった(のではないかという私の記憶?)の「木瓜咲くや怠け教師として終る」の句の下地には、世渡りが下手で権力に媚びず愚直な生き方だった漱石の句「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」の句があるのだそうです。そんな深いお話も主宰から教えていただきました。 歌のお上手なTさんの、先生の句を基に曲を作られたというオリジナル曲も心に沁みました。 お開きには皆で「夏の思い出」を歌い、楽しい時間というものはあっという間に流れるんだなあ…と思ったことでした。(伊藤範子)

「海光」の中から一句を選べと言われれば、躊躇なく「滝凍てて全山音を失へり」を選びます。実は、この句は栗田先生が中日句会に出された句なのです。選句の時にこの句が廻ってきましたが、余りの素晴らしさに本当に感動しました。しかし、待てよと思ったのです。選句しているときには、これが栗田先生の句であるというのは分りません。このような素晴らしい句は、もしかしてすでに誰か有名な俳人が似たような句を詠んでいるのではないかと思ってしまったのです。それで、浅はかにも選からはずしてしまいました。披講で、これが栗田先生の句と知って、選んおけばよかったと後悔しました。
 後に、栗田先生ご自身から、この句はすでに誰かが詠んでいるということを言われはしないかと心配したと言われました。そして、もう発表してからだいぶん時間が経っているが、まだ誰からも指摘を受けていないから、もう大丈夫とは思うという言葉がありました。それをお聞きして私が最初にこの句に出会ったときの感じ方もそれほど間違ってはいなかったと、自らを慰めています。(伊藤旅遊)


 『海光』出版祝賀会に出席させていただきました。句集の中で、私の一番印象深い句は 「滝凍てて全山音を失へり」です。この句を作られた平湯大滝での吟行にご一緒出来たのが何より幸運でした。
 一面の銀世界の中、滝の水も凍てついて青白く光っている様は、厳粛な自然そのものという感じで、そこに身を置いていると、シーンとした世界は音がしても吸い込まれていくように感じたものでした。この句には雪という言葉は出てきませんが、それは言外にいわれているのであって、音だけでなく、自分の身も心も吸い込まれていってしまう。そんな風に想いを発展させてくれるように感じられる句だと思います。主宰には心から、おめでとうございますと申し上げます。(藤田岳人)

 栗田先生の『海光』出版祝賀会は身内ばかりでしたが、盛会で何よりだったと思います。皆さんがそれぞれご自分の感想を述べているのを聞くと、一言一言が栗田先生のお人柄のすばらしさを実感させるものばかりでした。私はたまたま前句集の『霜華』鑑賞させていただいた関係で、〈仏桑花生き延びて修羅語りつぐ〉の句に出会い、そこから『海光』の〈甘蔗畑に痛恨の碑や旱梅雨〉につながっていることを書いたことがあります。改めて読むと『海光』は沖縄をイメージする題名にぴったりだと思いました。さらに香良洲の若桜会館で詠んだ予科練生に対する一連の俳句を読むと、〈散華てふ哀しき言葉朴の花〉に内在している「散華」に行き当たりました。『海光』には沖縄のイメージの他に「散華」という先生のメッセージもこもっていると思いました。(国枝隆生)

 栗田主宰の第四句集「海光」出版のお祝いの会に私も参列させていただきました。
句集「海光」の中から一句といわれると先に感想を述べておられる皆さんと一緒になってしまいますが「滝凍てて全山音を失へり」になります。
この句は青く凍てつく神秘的な滝に息を呑んだその一瞬を詠まれたものでしょうか。
その写生を越えた写生の奥深さにただただ憧憬するばかりです。
平湯大滝でこの句を詠まれてとき幸運にも私はご一緒させていただいておりましたので、余計にこの句に思い入れがあります。
皆さんからのお祝いの言葉をを聞いておられる主宰は確かに何度かハンカチを手にされている様子でした。
最後に挨拶に立たれた主宰の言葉の中に「皆から主宰に育てて貰いましたという言葉を良く戴くが、私も皆さんに育ててもらいここまで来ました」とお思いがけない言葉を口にされました。
このように謙虚でそして暖かい主宰の元で大好きな俳句を勉強できる幸せをしみじみと思う一日でした。
(坪野洋子)

 先日、句集「海光」出版祝賀会が盛会に行われ、皆さん主宰への熱い思いをお話しになり感動致しました。 私は[海光」からは欣一、綾子先生,ご両親,お孫さん、奥様、御友人等人物を詠まれた句を印象深く詠ませて頂きました。又、幼き日を詠まれた<毛糸編む母にまつわりゐたるかな<> この句はTさんが当日見事な作詞、作曲で鑑賞され感動致しましたが、 <泣き虫の少年たりし野火走る>にいつも毅然とされている先生の少年の日の一面を垣間見、親しみを感じました。 「海光」のテーマは散華であるとの事から人物を詠まれた先生のお気持ちを理解出来ました。  明日は奇しくも沖縄忌です。 (先日來「名古屋空襲誌」を読んでいますが)このような時に初メール出来る事を帰して先の大戦の事を学び「海光」を何度も読み返し深く味わってみようと思います。(豊田紀久子) 

 
主宰の『海光』出版祝賀会に出席でき、心温まる時間を過ごさせていただきました。折しも今は沖縄慰霊の日。「ああ、昨年のこの日は主宰とご一緒に摩文仁の丘に立っていたんだ・・・」と思うと、沖縄の方々の心情も思いやられ、こみ上げるものがあります。
 〈蜥蜴這ふ砲火に焦げし洞窟の口〉アブチラガマで詠まれた句ですが、ここに案内される前、私達女性群が他愛もないことでキャキャと笑っていたことを主宰に真剣なお顔でたしなめられたことが昨日のように思い出されます。戦争でお父様を亡くされた先生だからこそ余計に沖縄の方々の犠牲の上に今の日本があるということを真剣に考えていらっしゃると思い知らされました。
 まさしく『海光』のテーマは散華なのですね。句集中、私の好きな句は本当に沢山あり、1句を選ぶのはとても難しいと思いました。平明な言葉でありながら思いの深い句ばかりで主宰のお人柄そのままのような句集です。何度も読み返して勉強したいと思います。本当にありがとうございます。(牧野一古)

今日は沖縄慰霊の日です。主宰の句集「海光」には、去年の慰霊の日の句が載っています。    
   慰霊の日礎(いしじ)にすがり婆泣ける    栗田やすし
 私の初めての沖縄の旅は慰霊の日で、しかも 旅の始に訪れた場所が糸数壕(アブチラガマ)でした。 主宰は去年この場所で5句詠んでおられます。 今「海光」を読み返していますが、句の情景が目の前に浮かびます。<暗闇に滴りの音自決壕>糸数壕は、懐中電灯や長靴、ヘルメットを借りて見学させていただいた 真っ暗な所でした。中はひんやりとして、語り部のお話を聞いている間も 滴りが肩や背中を打ちました。<滴れる洞窟(ガマ)の凹みは隔離の場> ガマの底の窪みのところは、破傷風などで傷つき、死を待つより術の無い兵士の隔離の場所であったようです。 <骨いまだ残るてふ洞窟(ガマ)滴れり> ガマの底の又その底には、葬ることも出来ない死者の骨が残っているとお聞きしました。主宰は、「・・・・苦難の歴史を忘れてはならない。」と、<あとがき>で書いておられます。旅をして、その現場を見聞きして沖縄戦の壮絶さの一端を垣間見た思いがしました。忘れてはならないことと肝に銘じました。(矢野孝子)



祝賀会会場

司会の丹羽さんと下里さん

乾杯の朴水さん

桜井愛知支部長の挨拶

同級生3人

カメラマンは各テーブルを回る

謝辞の栗田主宰

最後は武田さん指導による「夏の思い出」
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